ソーシャル・フィルターにかかる情報たち

情報過多の時代には消費されるという表現ひとつみても、一つの情報を深く自分の中で落とし込む、例えば知識ではなく見識として得る、ということが難しくなっている。

最近は基本ヒマなので、適当にウェブを彷徨う中で「ピンときた情報」を、Tumblrなり、はてブなり、bit.lyなり、Google Readerなんかでシェアしている。

私がシェアした情報は、Twitterに流され、私をフォローする誰かの元へと流れて行き、そこで消費される。
(もちろんTumblrやはてブからも誰かの元へ届くかもしれないが、Twitterに比べると微々たるものだと思う)
今現在、私のフォロワーは200名前後、bit.lyでアクセス数を見ていると、せいぜい10〜20程度のアクセスが即時的に発生するのみである。連鎖的にRTされてもせいぜい100程度のアクセスがあるに過ぎない。

さて、このようにして日常的に情報をどこへともなくシェアしていく、という行動をなんのためにやっているのだろうか。

ところで、ソーシャル・フィルターという概念を、こちらのブログで知った。
人は、自分の選んだ人によって、情報を選りすぐりのモノにしてもらった上で、いわゆる玉の情報のみを手に入れる、という発想である。
誰しもぼんやりと考えていることではあろうが、こういう概念をキーワードとして提唱し広めることのできる人はやはりすごいと思う。

では、私というフィルターは、何を通しているか。
今は、漠然と「知ってもらいたいもの」を彷徨ったウェブから通している。
ジャンルも問わない。
趣味でメディアとなっているようなものであるが、なんのために、というと私は似た志向性の人を見つけ出すことではないかと思っている。

最初にフォローするときに、少しはその人の志向性を見るだろうが、実際のその人を感じるのはタイムライン上でその人をちょくちょく見かけるようになってからだと思う。
きっとTwitterは始めてから時間を経ると、フォローしている人の整理を定期的に行うことだろう。
そのときに、私というメディアを感覚的に選ぶかどうか、ということは、それまでに私がシェアした情報によって判断される。
フォロワーはその時々で増えたり減ったりはするはずだが、長期的に続けて行くことで、おそらく少しずつ、自分の志向性に合う人の割合が増えて行くはずだと思う。

というわけで、自分の「ピンときた情報」をこれからもちょいちょい流して行くことで、志向性の合う人を見つけて行きたい。

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