こころだいじに

このたびの震災で直接的、間接的関わらず大きな被害を受けられた方に、心よりお見舞い申し上げます。

被災する、という意味においては、直接的に被災された方はもちろんのこと、間接的にも多大な影響を受けた中で苦しみの渦中におられる方もいらっしゃると思います。

私は大多数の国民の皆様と同じように、何か出来ないものかと思いつつも、なかなか直接的に役に立てるようなことがなく、日々もどかしく過ごしているところであります。ツイッターでは少しでもフォロワーのみなさんにとって(短期的にも長期的にも)よいであろうと思う情報が流れてくればRTなどし、情報共有するように心がけてはおりますが、結局のところ直接的な被災者には、通信手段が途絶えている以上、必要な情報は届かないのが現状でもあると思っています。通信環境の耐災害能力というのは、とてつもなく重要なものであると、今回つくづく感じました。

高校の頃、住んでいた隣の街、神戸市を中心として阪神淡路大震災がありました。我が家も被災し、大きな揺れだったものの、何とか当日中には電気も復旧し、夜にはテレビも映りました。そのとき映像から流れてきたもののショックの大きさは、今でも頭に焼き付いています。翌日には水道も復旧し、その後長期にわたり水や電気なしに苦しんだ地域と比べれば、被災したとは言え、比較してたいしたものではありませんでした。

今も報道では、毎日すさまじい光景がテレビに映し出され、その意図ではないのでしょうが、原発の行方も含めて不安を煽られる状況にあります。当時高校生だった自分は、「なぜ自分が生き残って、犠牲になった人たちがこんなにもいるのだろうか、せめて自分が代わりとなれたなら、身代わりに生き残れる人もいるだろうに」という気持ちをよく抱いていたのを思い出します。

今は募金なり、物資を送るなりということを現実的に考え、実施することも出来ますし、高校生当時の頃のようにほんとうに全く何も出来ないと思い悩むことはありませんが、やはりそれでもこのような状況下においては、無力感というのは誰にも襲ってくるであろうと思います。

うつ病になった経験も振り返ってみて、ちゃんと折々にこころを開放してあげる、ということが、苦しみの渦中にあっては最も重要なことのように思います。とにかくこころが望むこと(遊ぶことでも、食べることでも、酒を飲むことでも)をかなえてあげることで、また一段とあたまが働くようになり、建設的、希望を現実に変えうるプランなども生み出されていくのだと思います。

被災者においては、その一人一人の話をしっかりと聴いてあげて、その人のニーズに合った対応をしてあげる、ということが最も求められることである、ということを聞きました。これもその人のこころが望むこと、をかなえてあげることで、またその人のいのちが輝けるように救済することが出来るのだと感じます。

人を助けることを、みなあたまで望んでいると思います。
そんな中であっても、人は人間である以上、こころが望んでいることも満たしてあげないと、あたまで望んでいることだけを理論的に突き詰めていくというのは、負担がとても大きなものになってしまうので注意が必要だと思います。

特に現地で毎日限界までがんばっている、被災者、支援者、東電の方、公務員の方、自衛隊の方など全ての人に、こころを大事に一日一日を過ごしていただきたく、祈る毎日です。

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