ここらで手や気を抜かないとね。

自戒を込めてメモ。

もうちょっとたてば復職しては6ヶ月。
少し仕事がバタバタしつつある。シンガポール人のわかりにくい英語と格闘したり、大きめの役割を与えられ、各部のコントロールに頭を悩ませたり。

現体制に対し、もっときちんと役割・責任を果たした仕事をすべきだ、という心の主張が強くなっている。周りのファジーなやり方に「雑すぎる」と怒りを覚えてしまう。ついつい議論中にイライラをぶつけそうになっている。それを我慢して頭に歪みを覚える。

往々にして自分の中で完璧主義者的な発想が見え隠れする。そんなことがこの少人数で出来るはずのないことも知っているにも関わらず。これをコントロールできない限り、自分の寛解はないのかもしれない。

今読んでいる「日本辺境論」で、武道的な「天下無敵」の意味、というパートが出てきた。
老いや病や痛みを「私」の外部にあって「私」を攻撃するもの、と捉えてしまうとベスト・コンディションの「私」が敵のせいで崩れている、という発想となり、いずれ敵だらけになってしまう、という。
しかし、「天下無敵」とは敵をそもそも作らないこと、老いや病や痛みを受け入れ、それが「私」であることを認識し、敵無しと発想することにある。

周りのことをもっとよしとして受け入れる。
その中でできること、やれることに集中する。
個と全体という二重生命的な感覚を忘れてはならない。

手を抜く、気を抜く、が悪い言葉のように見える、それ自体が凝り固まった発想なのだろう。

イライラが減りますように。

自戒を込めて。

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