最近Facebook経由で教えてもらった本を読んでます。
その中で、「形而上学」という言葉が出てきて、その昔何度か調べたことがあったものの、きれいさっぱり頭の中から抜け落ちていってしまっているので、ちょっと調べてみました。
Wikipediaの「形而上学」に色々書いてありました。
たしか「けいしじょうがく」って読むんじゃなかったかなーと思っていたら、正しくは「けいじじょうがく」とのこと。
どうやら、哲学の一つの領域で(伝統的領域の一つ)、アリストテレスからスタートし、古代〜中世〜近世〜現代、と続いているみたい。
とはいえ、
形而上学を定義することの困難の一部は、何世紀も前にアリストテレスの編者に根源的に形而上学的と考えられなかった問題が、次々に形而上学に加えられてきたことにある。また、何世紀にも渡って形而上学的と考えられていた問題が、概して現在、宗教哲学、心の哲学、知覚の哲学、言語哲学、科学哲学といった、その独特の分離した副次的主題へと追いやられている点にある。
とあるように、学問としての明確な定義があるわけでもなく、ぼんやりしていて、すぐ忘れてしまうのはそういうわけだったのかと。
言葉の由来ですが
形而上学の「形而上」とは元来、『易経』繋辞上伝にある「形而上者謂之道 形而下者謂之器」という記述の用語であったが、明治時代に井上哲次郎がmetaphysicsの訳語として使用し広まった。中国ではもとmetaphysicsの訳語に翻訳家の厳復による「玄学」を当てることが主流であったが、日本から逆輸入される形で「形而上学」が用いられるようになった。
だそうです。
他にも「形而下学」なんてものもあったりと、へぇ〜、でした。
哲学についてちょっとちゃんと勉強してみようかと思う今日この頃。
そういえば、昔奥さんが買ってた孫子の本があったような。
始めるとしたらあの辺りからスタートですかな。
ちなみに今読んでるのは、この本です。
知識創造企業 野中 郁次郎 竹内 弘高 梅本 勝博 東洋経済新報社 1996-03 |
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