WordPress 4.7 にアップグレード

またもや勢いでWordPressをアップグレードしてしまった

バックアップもとらずえいやとボタンを押したけれど、うまくいった模様。

4.6はいつのまにかすっ飛ばして4.7になってました。

アップグレードしたてのときに出てくる紹介ムービーがまたもやわかりやすい。

仕事はおさまったけれど、年末年始は研修の課題とやらをやらないといけない状態になりました・・・。


ひいおじいちゃんの三回忌

娘たちのひいおじいちゃん(義祖父)が亡くなってあっという間に丸二年。
三回忌の法要に家族で参加しました。遠方の方含め20人以上の方が集まり、故人を偲ぶことができたと思います。

お坊さんが来られて、お経を唱え始めたところ、次女3歳、「なんでおぼうさんが2人おるん?」とお経のみ聞こえる静かな中で爆弾を落としました。お坊さんのすぐ後ろに座っている髪の毛のほぼないそのお方は、故人の長男でございまして、お坊さんではございませんよ。。。隣に座っておられたおじさんと顔を見合わせて笑ってしまいました。

その後1分も立たないうちに、「まだおわらへんのんー」と自由さ爆発。お坊さんのお経のなかで「おい」という言葉が出てきたら、音が気になったのか、「おいおいやって〜」とお経のみ響く静寂な空間に爆弾落としまくりの次女にみなさん、笑いをこらえるのに必死でした。

来年は小学生になる長女6歳のほうは、最後まで大人しく座ってじっと賢くできていました、エライ(^_^)

お経が終わった後、浄土教のお坊さんはこんな話をしてくださいました。
『苦しみのある現世を終えて、仏様となった個人は苦しみのない世界である浄土におられます。しかし、苦しみのない地であっても、再び現世に残っておられる方々といつの日か浄土で再開できる日を願って、浄土で修行にはげんでおられるのです。その修行の助けとなるよう、南無阿弥陀仏を10度唱えるので、みなさんも唱えてください。』

ひいおじいちゃんが亡くなった時、逮夜に通っていた頃のことを思い出しました。南無阿弥陀仏のリズムは、4-4-2と歌のようでリズムが整っています。実際にそのように唱えることで、当時の気持ちや感情を思い出すことが出来るようになっているのでしょうね。
順調に大きく育っていき新しいことを覚えて行く子供達に、またひいおじいちゃんのことをふりかえり話してあげようと思った次第です。

写真は若かりし頃の義祖父と、おじいちゃんっ子だった奥さん。きっとお坊さんのお経をききながら成長したひ孫たちにおおきくなったなぁ〜と言ってくれていることでしょう(^_^)

送信者 In My Life

とっても久々にブログ

前にブログ書いてからもう半年ちょっと経ちました。
2012年は週に一回のペースでアウトプットしていこうと宣言までしていたのに情けない話です。。。
有言実行というのは、やっぱり難しいですね。言い出したら自分もちゃんとやるだろうと思ってのことだったんですけど、なかなかそうはうまく行きませんでした。あんまり数量的な目標は立てない方がいいなぁーと思った次第です。

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あっという間に半年

とっても久々にブログ。
iPadから書いてみることにします。

今年は毎週ペースでブログを書くつもりだったのに、4月に異動で仕事が変わってからというものなんだか色々とバタバタしてたら気づけば今で、随分とここも放置することになってしまいました。
半年も経てばたくさん出来事があって、ほんとは色々と書きたいことがあるけれど、とりあえず備忘録のために半年間であった出来事を記録しておくことにします。

  • 4月 異動で仕事ががらっと変更。次女2歳!
  • 5月 仕事の変化が原因で、久々に心調が若干不調に。長女コマなし自転車をマスター!GW終盤より、突如奥さん体調不良で一時動けない状況に。
  • 6月 34歳になる。
  • 7月 奥さん再度体調不良で入院。母親に頻繁にヘルプにきてもらっていたことがきっかけとなり父親と大げんか。
  • 8月 奥さん退院。次女トイレトレーニング成功!長女5歳!
  • 9月 月末で社会に出てちょうど10年に。
  • 奥さんの病気をきっかけに、毎日子供たちを朝夕保育園に送り迎えすることになりました。夏場は特に、2人自転車に載せて大量の保育園の荷物を持っての移動は大変で、これまで仕事にかまけて生活の負担を随分と押しつけてしまっていたんだなぁと痛感しました。8月からは実家のヘルプも全く頼れない状態になり、今思えば毎日気が張り詰めていたような。今では奥さんも以前に比べるとずいぶん回復して、だんだんまた送り迎えをしてもらうことも増えつつあります。とはいえ引き続きあまり負担をかけないようにしなければと思ってます。沢山の病院に通っていますが、あるときぱっと完治する、というような病気なのかもよくわからない状況なので、のんびり構えることが大事です。

    仕事のほうもあんまりうまいこと軌道に乗らず、役割や能力についてとってもモヤモヤすることの多い日々ですが、一日一日前向いて一歩ずつ歩みは遅くとも進んでいかなきゃと想い過ごす今日この頃です。昨日より今日、今日より明日は少しずつでも良くなっていくことを信じて。

    一年後の世界

    震災から一年が経ちました。
    直接的、間接的に被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。

    一年経って、何かを書けるだろうか、と思ったけれど、とても何かうまく表現できる気がしません。
    とはいえ、何かを書いてみることで、そこでは表現できない何ものかが文脈からにじみ出るような感じで、どこかの誰かに伝わればいいなとも思います。

    一年前のそのとき、わたしは大阪で仕事(会議)をしていました。
    ゆっくりでしたが、とても大きな揺れがあり、久しぶりに体感する地震でずいぶん感覚が鈍ってしまっていました。
    会議室から出ることもなく、揺れが落ちついた後、すぐに会議を続けました。

    思えば高校1年生だった阪神大震災のとき、明石で震度7の揺れを経験し、その後も余震の続く毎日を過ごしていたのですが、時間の経過とともに自分の中の危機感も薄れていってしまっている、ということをとても痛感します。
    時間が経つ、ということは、危機感が薄れていく、ということでもあります。
    これは人間の本能的なものでもあろうかと思いますので、意識的な振り返りが必要です。

    今一年が経過して、一年後は今のような状況になっているだろうと、想像している人はいたのでしょうか。
    原発事故に始まった電力の問題、放射能の問題、地域の復興の問題、仮設住宅の問題、解決までにほど遠い問題が山積みになっているように感じます。

    そんな中、震災後、自らの仕事についても考えることが多くなっていました。
    今の仕事をしっかりとやる、ということで、日本の落ち込んだ経済を再び回るための一助になるべき、という想いを持ってこの一年やってはきましたが、やはり自分がやるべきこと、とは少し違うような気持ちもどこかで持ったままです。
    自分が経済的にしっかりし、寄付をすることで被災地の復興にも協力する、という考え方と、自分の生き方について照らし合わせてみたときに、自分の中でしっくりくるような気がするときもあれば、しっくりこないときもあるのです。結論は出ないものの、このまま今の仕事を続けていくことでよいのか、たまに悩みます。

    こういう悩み自体、きっと現地を見ていない、ということも関係しているように、自分の中で思うところがあります。

    これから何年か経って、子どもたちが物心ついて、理解が出来る年頃になったときに、直接子どもたちを連れて現地に行きたいと思っています。
    小学校の修学旅行で、広島に行きました。原爆の被害に遭われた方の口から直接、当時の状況をこと細かに聴きました。そのときのストーリーや内容というのは、今も完全に忘れてしまって自分の頭には残っていませんが、別のものが自分の頭には残っています。その話をしてくれたおばあちゃんの「意識」そのものが自分の頭の中に残っているように思うのです。これは、言葉で語ることはできませんが、とてもとても自分の中で大事なことなんだろうと、そんな風に感じています。源体験、のように自らが体験したわけではないけれど、そこに少し近い何ものかを受け取った、ということなのかもしれません。

    阪神大震災でも、5年や10年は復興の最中でした。
    原発事故のことを考えると、復旧すらままならない状況で、復興を遂げるというのは世代を超えた取り組みになるのだと思います。
    自分の中で今すぐでないにしろ、もっとより人生の一部に、自分に近いものとした動きや行動をしていきたいなと、一年経った今感じています。

    週末、テレビでたくさんの映像が流れていました。
    映像の力は本当に大きなものだと思います。

    家族、親類、友達を亡くされた方、言葉で伝わらないものが、映像を通して、表情を通してとてもダイレクトに、心に響いてきます。
    数えきれぬほどの方が、このような想いをもたれた、ということは、本当に言葉にできません。

    私の経験した病気も似たようなところがあるかもしれませんが、実際にその場にいて体験をした、ということと、映像を通して疑似体験した、ということは、天と地ほどに違いがあって、よく「風化」と言いますけど、そのスピードも桁が違うと思います。
    ですので、まず自らを「風化」させずにいるための策について、しっかりと考えていきたいと思います。

    テレビなど映像からプッシュされてくるもの、だけでは不十分です。
    自らがプルし続けることで、自らの意識を持続し続けることができるものと思います。

    書いてみて、予想通りまとまりはないものの、引き続き、震災により向き合って生きていきたいと想いを強くしました。

    形而上学について少し調べてみた

    最近Facebook経由で教えてもらった本を読んでます。
    その中で、「形而上学」という言葉が出てきて、その昔何度か調べたことがあったものの、きれいさっぱり頭の中から抜け落ちていってしまっているので、ちょっと調べてみました。

    Wikipediaの「形而上学」に色々書いてありました。
    たしか「けいしじょうがく」って読むんじゃなかったかなーと思っていたら、正しくは「けいじじょうがく」とのこと。
    どうやら、哲学の一つの領域で(伝統的領域の一つ)、アリストテレスからスタートし、古代〜中世〜近世〜現代、と続いているみたい。

    とはいえ、

    形而上学を定義することの困難の一部は、何世紀も前にアリストテレスの編者に根源的に形而上学的と考えられなかった問題が、次々に形而上学に加えられてきたことにある。また、何世紀にも渡って形而上学的と考えられていた問題が、概して現在、宗教哲学、心の哲学、知覚の哲学、言語哲学、科学哲学といった、その独特の分離した副次的主題へと追いやられている点にある。

    とあるように、学問としての明確な定義があるわけでもなく、ぼんやりしていて、すぐ忘れてしまうのはそういうわけだったのかと。

    言葉の由来ですが

    形而上学の「形而上」とは元来、『易経』繋辞上伝にある「形而上者謂之道 形而下者謂之器」という記述の用語であったが、明治時代に井上哲次郎がmetaphysicsの訳語として使用し広まった。中国ではもとmetaphysicsの訳語に翻訳家の厳復による「玄学」を当てることが主流であったが、日本から逆輸入される形で「形而上学」が用いられるようになった。

    だそうです。
    他にも「形而下学」なんてものもあったりと、へぇ〜、でした。
    哲学についてちょっとちゃんと勉強してみようかと思う今日この頃。
    そういえば、昔奥さんが買ってた孫子の本があったような。
    始めるとしたらあの辺りからスタートですかな。

    ちなみに今読んでるのは、この本です。

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    つれづれ

    一週間に一度書く、というルールを今年は決めたのです。
    というわけで、今年7本目のブログです。

    まーったく書きたいこともなく、ノープランなので、今回は適当に思いつくままに書いてみることにします。

    まず、生活の話。
    奥さんと長女がインフルエンザに罹り、回復してから、今度は次女がおなかの風邪にやられています。
    おなかの風邪といえば、ノロかロタかわかりませんが、去年のクリスマスの時期に家族全滅し、未だに冷蔵庫にクリスマス呑むはずだったシャンパンが入っています。そのとき全員で苦しみながらおかゆ三昧の日々を過ごしましたが、今回の次女の症状も近い感じです。
    次女は前回も吐いたような記憶がありますが、今回も豪快に吐きました。その後2日間ほど、水のように腹を下し、ちょっと便が出なくなったな、と思ったら、今朝、再度吐きました。心配で病院に連れて行きましたが、たいしたことはないとのこと。その後今日一日でまた少し回復してきています。
    熱だと38度くらいでも余裕で元気いっぱいの次女ですが、おなかの風邪だととてもつらそうで、見ていてとてもかわいそう。
    早く良くなるといいな。
    クリスマスからノロだのインフルエンザだの、なんだか病気に襲われっぱなしの我が家。はやく皆が元気な状態になりたいものです。

    続いて、仕事の話。
    今のプロジェクトをやるようになって1年半くらい。
    はじめはコンサルに引っ張ってもらっていたところ、契約期間終了につき、去年の10月くらいからは、実務としては、わたしがリーダー。
    チームメンバーに色々自立して動いてほしいところではあるものの、なかなかそううまくは行かず、どちらかと言えば指示に基づいた動きしかしてくれない日々が続きました。マネジメントの難しさというものをとても痛感し、どのようにコミュニケーションすれば自発的に動けるチームになるのだろうかと、今でも模索する日々です。「あうん」の呼吸というやつが、あって当たり前、と思ってしまう自分にも問題があると思い、コミュニケーションの量を増やしてみるものの、なかなかうまくいかなかったりと、メンバーの特性をつかむところから、とても勉強させてもらっています。
    思えば若い人が減っていき、高齢化の波がますます押し寄せるこの社会で、リーダー役をする、というのは、基本自分より年上の人たちに対してリーダーシップを発揮する、ということがスタンダードになりつつある(もしくは既になっている)ということなのだと思います。わたしのいるところも、高齢化が進んでいて、わたしがほぼ下から数えた方が良いくらいの若手。もちろんやりにくい、と感じることも多々ありますけれど、そういう役割を与えてもらっているということは光栄なことでもありますので、やはりやるべきこと、についてはズバリ言うように心がけています。とはいえ、目上の方に対する尊敬の心というのは常に忘れないようにしているつもりではあります。上司がモーレツなので、ついついそのようなテイストを自分も無意識に含んでしまっていることもありますが、後で振り返って反省するのです。もっと「真摯」にならねばならぬ、と。
    「真摯」というのはドラッカーの言葉で、これがマネジャーには重要な要素であるということですが、奥深いのでいつかちゃんと勉強しようと思っています。今のところ思ってるだけですが・・・。
    理想のマネジャーというのがいればいいんですが、今のところ歴代の上司からは、残念ながら思い浮かびません。佐々木常夫さんみたいなやり方が理想とは思うものの、実践が難しいという悩みもあります。

    そんなこんなで、ドタバタと日々過ごしています、なんだか充実しているようにも思えます。
    生活面では、今年はスポーツをやりたい!というのがありますが、まだちょっと状況として難しい気がしています。
    仕事面では、いろんな勉強をさせてもらえているので、不満はないはずなのですが、環境を変えたいなー、という思いは持っています。というのも同じ職場での仕事が長くなってきているのと、いつまで経ってもあまり職場の雰囲気が良くないからかもしれません。

    つらつらと書いてみましたが、やっぱりまとまりないですね。
    何か書くときは、テーマくらい決めた方が良さそうです・・・。
    ではまた来週。

    花粉症の季節到来

    今年も嫌な季節がやってきましたね。
    春になるのは嬉しいことなのですが、こればっかりはどうにも苦しみが先に頭に浮かんでしまいます。

    去年の花粉症の状況をまとめています。
    さっき読み返してみたら、やっぱり、「風邪と花粉症の併発」これに苦しんだみたいです。(去年のことなのにそれほど覚えてない・・・^^;)

    というのも、週末の土日、と鼻水に溺れるほどのズルズルっぷりで、花粉症の時期はこれがずっと続くのか・・・と一時考えてしまったほどなのです。結果は、月曜日には鼻が通るようになり、助かった、と思った次第です。(月・火と雨できているので、そのせいもあるのだとしたら、また晴れだしたら注意かな、といまだ恐れてもいますが。。。)
    つまり、この週末は「風邪と花粉症の併発」というやつにドはまりしてた、というのが今の自分の結論。花粉症の時期がスタートしたばっかりなのに、これでは思いやられます。とにかく、もう花粉症の時期に風邪を引きたくない!のでいろいろ注意しようと思います。

    自分の中の花粉症、というやつに、面と向かって意識を向けたのは、2010年。検査をしてもらって、ダニ・ホコリ・スギの反応が陽性だった、というところからです。それまでは、なんだか季節の変わり目に咳が出ることが多くて、百日咳かなんかなのかなぁとずっと考えて生きてきました。一度か二度か、病院でも見てもらったこともあり、それでも結局原因不明。のどが腫れていて、アデノイド?とか言われて、これといった治療もなく、終了、という感じが何年も続いてました。
    その後関西に戻ってきてから、検査して、アレルギーということが発覚して、気をつけだして、今に至ります。原因不明の謎の咳、と向き合う必要がなくなって、ほっとするやら、花粉症リミッターが外れてしまっている事実にがっかりするやら。思いは複雑でしたが、事実は受け入れるしかありませんからね。花粉症とも末永く、付き合っていこうと思うわけであります。

    今年は去年ほどは、花粉の量は飛ばない、ということだそうで、ちょっと楽観視してはいるものの、なめちゃあいけませんよね。しっかりと、マスクする、抗アレルギーの薬を継続的に飲む、風邪をひかない、色々と十分注意して、この季節を過ごしたいと思います。

    あ、全然話し変わりますが、奥さんが立ち上げた新しいブログのほうで、技術よりの話を書くことにしました。とりあえず、先ずは技術的なバックグラウンドのわかる自己紹介を書いています。
    こちらも宜しくお願いします。( 宣伝でした :-) )

    今のこのブログは、これまで通り、書きたいように、書きたいことを、誰か向けでもあるようで、誰向けでもない、そんな風に綴っていきたいと思います。

    百か日法要を終えて

    先週末、昨年秋に亡くなった義理のお祖父さんの百か日法要が執り行われました。
    忌日法要については、お通夜、お葬式、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(四十九日、満中陰)、全て法要に参加し、今回の百か日を迎えました。

    片道1時間ちょっとという距離とはいえ、まだまだ小さい子供たちを連れて法要に参加するというのもなかなか大変なことではありましたが、生前とても可愛がってもらったひ孫たちを連れていくことが、お祖父さんの供養にもなるのではないかと思い、家族で頑張って週末は実家に通いました。

    法事でお坊さんがお経を唱えている間、お経自体は聞いても理解出来ないので、いろんなことを考えました。生前のお祖父さんのこと、親族というコミュニティについて、死について、ご先祖様について。そんな中、長女は退屈ながらも賢く正座してじっとすることができており(保育園がお寺なので、日々練習している)、次女はお坊さんの叩く木魚が気になるようで、たまに脱走して木魚を奪いに行ったところを、親族の誰かに確保される、というような感じでした^^;

    悲しみや寂しい感情、というのは日が過ぎていくとともに少しずつ薄れていくものです。喜怒哀楽といった感情が少しずつ執着がとれていく仕組みになっていることが、人間が生きるために必要なことであるようにも感じます。ただそういった中でも、しっかりと目に焼き付いている光景があり、生前のお祖父さんのひ孫をいじめるいたずらっぽい声や、笑顔、亡くなり棺の中でもう話すことのできなくなり目をつぶっている顔、泣きながら別れを告げる家族の顔、今でもありありと思い出すことができます。

    百か日法要の際、お坊さんが教えてくれたことは次のようなことでした。

    生きとし生けるものは、全て下層から「土」「水」「火」「風」「空」の要素のもとに始めて存在することができており、この条件の中で、代々ご先祖様から始まり、亡くなった方、これから生まれ来る赤子など、たくさんのいのちがこの世に過ごすことができているのであり、そのような事に思いを巡らすことで、少しでも諍いの少ない世の中にしていけるのではないでしょうか。

    人が亡くなる、という経験は辛いものであり、あまりしたくないものです。
    しかし、避けられるものではありません。
    ですので、その経験の中で、どのような思いを巡らし、何を感じることができるのか、ということがとても大切なのだと思います。
    次女にはまだ早いものの、4歳の長女にとっては、とても大切な経験であってほしい、と想うのでした。

    お祖父さんは、百か日法要の後、お墓に納骨されました。
    少し小高い丘の、とても素敵な場所です。
    藤棚があるお寺さんで、きっと藤が咲く頃にはとても綺麗な景色になるのでしょう。
    また、時どきに足を運び、ひ孫たちの成長を見せてあげたいと思います。