今年もたくさんの人にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
去年は11年ぶりに関西に戻ってきて、転職などバタバタしてましたが、今年もいろいろとありました。
年の初めからうつ病で休職、1月2月3月はドン底というやつを味わいながらもジワジワと回復し、10月には復職。
復職してから3ヶ月が経過しました。
元通りとはいかないまでも、なんとか9時〜5時レベルでは働けそうな回復具合です。
まだまだボケーッとサボリ気味ながらの勤務時間の過ごし方ですが、すこしずつ仕事に集中できる時間を増やせてる感じです。
これを寛解、というのかどうかはわかりませんが、とりあえず順調にいってるであろうことはなんとなく分かります。
負のループから抜け出した、ということのようにも感じます。
今後も気をつけねばならないものの、以前のように潰れるまで強引に前に進むことはしない(できない)と思います。
今年はこれまでの人生の中で、もっとも出会いの少ない一年でもありました。
毎年新しい人と出会うのが楽しくて、新しい出会いの中でその人の感性に触れるたび、新しい自分がつくられていく、そんな感覚を持っていましたが、今年は出かけることも圧倒的に少なくなって、内向きというか自分の内面・精神性の部分をずっと見つめてきました。
そんな中、自分の中身を確認するのに、一番役に立ったのはウェブでした。
ウェブのコンテンツは一昔前と違って、画面の向こうに座っている人がイメージできるようになってきてると思います。
ブログを見ていても、テクニカルな情報だけじゃなくて、「身の上話」をしている人がよく見つかります。
自分語りをしているとき、画面の向こう側の人は、魅力がにじみ出ているように感じます。
実際に面と向かったときに話せないような身の上話、こういうのがさらっと書けるのはウェブの魅力だと思います。
そして、それを読むと、逆に自分の感性・内面というものが客観的に見えるような気がするのです。
もしくは自分に対する新たなハッとするような気付きを与えられるのかもしれません。
小説みたいな完成されたものでなくとも、物語には力があるということだと思います。
ブログをちゃんと書いてみようかなと思ったのも、そういうウェブの先輩方の影響かもしれません。
まだウェブとのつきあいかた、というのがしっくり来てない状況ですが、分からないながらも書き続けていくということが結構大事かなと思っている今日この頃です。Twitterをはじめとするいろんなツールを試したりもしています。
今年はそんな中、この文章を含めて短いもの、長いものありますが、131のなにかしらを書きました。
ブログに書いてた中で、一番印象に残っているのは場の研究所、清水博先生の一連の勉強会の内容です。
現代の社会は認識の問題を扱っており、存在の問題を扱っていない。
今置かれている現状を捉え、生きている、のではなく、生きていく、という形をつくっていかねばならない。
そのような中で、「場」のはたらきの力がどのようであるか。
苦悩からの救済、という意味での宗教、おもに仏教の果たす役割。
この世に果たして自分というものが存在するか、という問い。
そこから繋がり、ダライ・ラマ14世の自伝を読みました。
人の自伝を読むのは初めてだったかもしれません。
それぞれの人に与えられたものを運命とか宿命とかいうのであれば、このダライ・ラマに与えられたものがどれほど大きなものであるか、そんな中でも活き活きと「生きていく」という形を語ってくれている、ダライ・ラマ14世。
存在の問題に関するもの含め、彼の思想がギュッとつまった本でした。
ダライ・ラマ自伝 (文春文庫) | |
The Dalai Lama of Tibet
文藝春秋 2001-06 おすすめ平均 |
こんな風に日々ぐちゃぐちゃいろいろと考えて、アウトプットできることもできないこともあります。
うまく言葉にできないことは消えてゆくこともあります。
何かカタチになったものはここに書こうと思ってはいますけれど。
いつも乱文、読んでくださっている方、ありがとうございます。
何か自らの精神性について深く考えるとき、結局いつも辿り着くのは家族への想いです。
健康第一、という言葉も、家族への想いがあってこそ。
2009年という人生の一ページ、こんな一年も悪くない。
苦しみの中でも、身近で大切なひとたちへの想いを強くすることができた一年だったように感じます。
年末年始と寒くなるそうなので、皆様お身体を大切にお過しくださいますよう。
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