石の上にも三年。

今日で、転職して今の仕事をしてから丸三年。
2011年の後半スタートと共に、この仕事の四年目もスタートでした。

去年、丸二年経ったときに想ったこと(書いたこと)を読んでいて、去年の自分の状況とかを思い出すとともに、この一年でまた新たにいろいろと想うところが出てきたなぁと感じる自分の成長度合いも確認することができました。

2010年7月〜2011年6月の一年間はとても仕事の忙しい一年間でした。
最初はPJで振り回されながらあたふたして対応して行きながらも、病気の方も年末には寛解宣言できるほどに良くなり、自らいろいろPJをコントロールできるできるようになり、仕事的にもプロマネ領域も上司から任されるようになり、自分の心情としてもそれに応えようという精神状態まで持って行くこともできました。

自分の成長というものは、今の組織がもたらしたものは大きいです。それは間違いようの無くそうだと言えることです。ただし、感謝はするものの、やはり組織として病んでいるのも事実。

この石の上に三年、座り続けて暖まったのは自分の設置面だけで、やっぱり組織全体という石には温度がまだ伝わっていない。もう少しここで、石全体を暖めてやろうと、そこに座る全員に暖かさが伝わるような、そんな気持ちになりました。

順調にいけば、来年の今頃くらいには部署を変わるか、転職するか、何するにせよあと一年くらいは今のこの場所で、場の一部としての自分に出来ることを考えながら行動していこうと想います。

ここへ来たからには、ちゃんとその意味があるはず、というのを突き詰めて考えていきます。
最近バクとした表現ばかりですけども(笑)

33歳になりました。

今日は仕事が遅くなる想定だったんですけども、なんだかうまく帰れる感じになったので、家族の顔が見たいってことではよ帰りました。遅くなる予感を伝えていたので、奥さんは長女を朝叩き起こして、娘と一緒に書いてくれた手紙を渡してくれていました。3歳なので、手紙の概念も文字というのがどういうものなのか分かった上で、「パパ」の文字をひとりで書いてくれたものでした(^^)
大切に保管しようと思います。

ところで、今年も何人かがおめでとうのメールをくれました。自分は人の誕生日に対しておめでとうメールをほとんどしたことがないくらいなので、とてもとても有り難いことと感謝しています。
インターネットの向こう側で知り合った方々も、何人かおめでとうを伝えてくださいました(Twitter, Facebook, etc)

33歳になって、長女は3歳でおしゃべりしまくり、次女は1歳で歩き出し、なんというか、父親4年生としてとても成長させてもらっているなぁとしみじみ感じます。

人間は成長し続けることのできる存在というのは、とても強く感じます。

息抜きをする、自分を客観的によいバランス(精神的にも肉体的にも)に保つ、ということを前提にした上で、人とのつながりを重視し(リアルな場でもインターネットを通したコミュニケーションスペースにおいても)よりよい方向へ、場自体が進化していけるように、努力し続け、成長していきたいなぁと思います。

「個」が所属している、それぞれの「場」の中で、全体を見ながら、強調し自らを強化していく、その結果として「場」が強化される、という感覚であり、それを所属する全ての「場」(仕事場、家庭、実家、地域的なコミュニティ、等々)でうまくバランスとって進められるようにする、という感じのイメージです。

というようなことを、ぼんやりと考えていて、もっとうまく伝えられるようにちゃんと実践していきたいなー、と思っています。

三十路街道もそれなりに楽しくなってきたところ、33歳も楽しく生きていきます(^^)

寛解宣言

2009年の1月、初めて病院に行きました、いわゆる心療内科。
それまでは大きな病気という病気には罹ったこともない自分が、大きなうねりに飲み込まれてしまったかのように、思考力、判断力がガタ落ちし、藁にもすがるような思いで訪れたような記憶が残っています。

「様子がおかしい」、と初めて奥さんに言われたとき、頑固な自分が「あ、そうなのかもな」とはっきり自覚できる程だったということは、あの頃相当に追い詰められていたのでしょう。
駅のホームに吸い込まれていきそうな、そんな感覚さえ体験しました。

あれから、ちょうど2年が経とうとしています。
順調に良化傾向にあった自分のケースでは、薬を抜いてからというもの、さらに「普通」の感覚というものが戻ってきたかのようです。
10月頃、主治医から「後は年が明ける前くらいに一度最後の通院をすればもう大丈夫でしょう。」と言われました。

先週、その最後の通院を終え、完全に一段落着いた、ということになります^^
職場の環境や、仕事内容そのもの、子育てのバランス、職場の空気感、まだまだたくさん思い悩むことはあるものの、「未来に対して、予測を立てられる」という状況にあるということは、とても大切なことだと、主治医は言ってくれました。
つまり、ある程度、冷静にものごとを捉え、自分の体調・心調を鑑みた上で、行動を予測し、制限まで実行することができる、そのことが再発の予防となるのだと解釈しています。

主治医曰く、普通は薬が抜けたら、ひとまず寛解ということらしいのですが、とりあえず通院が終わる、というこのタイミングで自分自身も「寛解したよ」宣言をしたいと思いました。
何時までも、まだ調子が悪くて、と言い続けることは簡単だけれど、「普通」の状態に戻ることができた、ということは、負荷に対してもちゃんと負けん気を出して、頑張れる、ということとイコールなのだと思うのです。
もちろん、再発のリスクはそれなりにあるという事はわかっているので、そんなに我慢の連続はできないとある程度割りきってはいますけど。(実際に残業が随分増えてきて、子どもと遊べなくなってきていたので、減らしてもらったりもしています。)

なんだか、あの辛く苦しかった日々が嘘のようで、当時のドン底の苦しさも忘れてしまいました。
忘れるのが必ずしも良いことではないですが、人間は前に進むために、脳に忘れる機能が備わってるんだなぁということを実感します。多分あの苦しみを簡単に思い出せてしまったなら、怖くて簡単には前を向いて進めないことでしょう。

今の自分は、とてもとても深い井戸に落ちて、はいあがってきたという感じです。
必死で上がってきたので、もうその時の暗さや深さなど思い出せない。
ただ、振り返ると、落ちた井戸からも光は見えたのだと。
それが、家族であり、友達であり。

たった2年で、まともに仕事が出来るレベルにまではいあがってこれたのも、周りのサポートあってこそと感謝の気持ちでいっぱいです。

生きるということの中で、この2年間は、ほとんど自分の内面を向いて歩いてきました。
最近読んだ99歳の医師(現時点)、日野原重明さんの本に、「いのちの授業」のDVDが付いていました。
小学生向けに故郷の山口で行った授業をDVDにしたものですが、とても心に響きました。

いのちとは何か、目に見えないものである。
とても大切なものほど、目に見えない(愛や平和)
与えられたいのちを、与えられた寿命の中で、なんのために使うのか。
子どものうちは自分のためだけに使っているが、いずれそのいのちを他の人のために使うことを考えて欲しい。
いのちの大切さが伝われば伝わるほど、世の中は平和になっていく。

さて、このいのち、どのように使っていくべきか。
今回の件で、自分にも、「目に見えない大切なもの」がいくつか感じられるようになった気がしています。
まだまだ試行錯誤が必要ですが、のんびりじっくり、他の人達のために使うことを考えていきたいと思う2010年の暮れでした。

病気の折、なんらか私に対して心を配っていただいたみなさま、心を込めて感謝いたします。
こうして私は元気になりました^^

これからもよろしくお願いします。

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生きてるだけで100点満点  99歳のぼくから君たちへ 日野原重明

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復職して一年が経ちました。

うつ病による休職から復帰して一年経ちました。

長かったような、短かったような。
いろいろと日々想うところはあるけれど、まず第一に、今こうして元気に生きているということに感謝したいと思います。

症状としては、ほとんどうつ病っぽい症状はなくなったように感じています。
自分ではっきり認識出来るほどに、メランコリー親和型性格なシンプルさからくる大うつ病(major depression)っていう感じなので、今後の再発予防については非常に対策しやすいパターンなんだろうなーと思います。

でも、頭でわかってても、自分の性格を創造的破壊しつづけていけるか、自己変革し続けられるか、というのは大きな課題。
知行合一の難しさってこういうことなのかな、という感じです。

あんなにも苦しくて、悩み倒したんだから、性格も変わってるでしょうと思わないでもないけれど、ある程度病的な穴から抜けだして再び冷静に客観的にとらえた感覚としては、やはり元の自分は元の自分として、病気の前の考え方、生き方を未だ抱えている部分があるという自意識はあります。
ただ、そのことをちゃんと自覚できている、ということが大切なことなのではないかと思っています。

自分というものがあるのか、あるとしてスタートするのが道徳、自分などないとしてスタートするのが宗教だそうです。
生きていく上で、自分とはなんなのか、という問いが誰しも必要で、そういう意味ではもっと宗教について学ばねばならないように思います。

病気を発症してからというもの、ずいぶんと内向きに生きてきました。
なんだか、精神の病を引き起こす社会の歪みを表しているような言葉が、とても嫌いになった時期が続きました。
例えば、「グローバリゼーション」「効率化」「生産性向上」「競争」「サバイバル」等々。

今は、だいぶ偏ったモノの考え方を、ふっと引いて客観的に見ることができるようになってきたので、これらの言葉も自分なりにのみ込むことができるようになったように思います。
これからは、ちょっとずつ外に目を向けて、生きていきたいなと感じる今日この頃です。

あ、今の自分を寛解と見るかどうかは、人により違うと思いますが、自分としては8割くらいのところまで来ているように考えています。
(ちなみに、断薬は継続中で、抗うつ薬だけでなく、睡眠薬も一切飲んでません。)

復職して10ヶ月。断薬始めました。

次女が生まれてから薬も忘れ気味になっていて、それをきっかけにずいぶん減らしてました。
前回通院時に主治医からは、梅雨が明けたくらいに忘れてたらそのまま忘れてしまってもいいんじゃないでしょうか、という言葉をもらっていて、すっかり忘れているわけでもないんだけれど、今が止め時なんじゃなかろうか、なんて思ったので、断薬を始めてみました。

7月に入ってから実のところ仕事が忙しくて、結構バタバタしているものの、まあなるようになるかってな感じで適当に仕事できているというところもあり、7月14日くらいからなんとなく飲むのをやめました。
完全に順調なわけじゃなく、仕事のプレッシャーが大きくなってきてるのもあり、若干頭が痛い日だってあるし、相変わらずシンガポールやオーストラリアの英語はようわからん、ってところもありますし、奥さんの体調(突発性難聴)のほうも当初より良くなってはいるものの結構心配だったりと色々あるんですけども、完全に順調になってから薬を抜くなんて、よくよく考えたら馬鹿みたいじゃないかと。

「普通」「普通」と普通の人生や普通の生き方ばかり追っていくのがうつ病の症状でして、こうした「普通」を渇望する自分の矛盾っていうのがずいぶん客観視できるようになったということが、寛解ではないけれど、ある意味薬を不要とする程度の快方へのひとつの区切りのように感じています。

思えば1年7ヶ月、薬を飲み続けてきたわけだけれど、脳になんらかの作用を与えるわけのわからんものを投与してきたわけです。
もちろん、薬を全否定するなんてことはできなくて、きっと自分にとってなくてはならないものだったし、寛解しているわけでもないのだから、今後も全くもってお世話にならないとは言い切れないところもあります。

認知が歪み、「自分が社会、世界、宇宙の中で無意味であり不要な存在である」
そういうことばかり考えるようになったら、薬なしでは歪みを正すことは非常に難しいでしょう。
今後もしそういう状況に陥ったとしたら(勿論あってはならぬと思ってはいますけどね)自分を破壊する前に、薬の力を借りることがとても大切な事だとこころから思えます。

心が「強い」「弱い」だなんて、人間の人生の中では折々の変化があって、先が絶対大丈夫なんて言い切れないとおもいます。私だけでなく家族、親族含めてそういうことをケアできる人間になれたような気がするし、そういう気遣いを大切にしていきたいと思います。それが今回の経験によって得られたことかもしれない。よりやさしくなった、なんて曖昧な表現じゃなく、よりつらさがみえるようになった、という感じでしょうか。

とはいえ、まだまだ病気と付き合っていくという感覚が大切なように感じるので、まだまだ寛解宣言はできませんが。

とても大好きな夢を紹介します。

 私はみんなみたいな野球選手になるとか先生になるとか、そういうかっこいい夢は今はありません。小学生の時にはパン屋さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか言っていたのに、今ではどうせなれないよと考えてしまいます。
 けれど今の私には、家族の役に立てる自分になりたい、という思いがあります。中学生になってから部活や勉強で自分の事だけで精一杯になってしまう私は、家で親の手伝いや妹と遊んであげることができません。そんな自分はだめだと思っていました。けれど、学校で見たビデオでは、
「生きているだけで人の役に立っているんだね。」
と言っていました。
 そして私は、生きているだけで役に立っているのなら一生けん命生きようと思いました。これが夢かは分かりませんが、今の私の思いです。仕事にまつわる夢は、これから考えて行こうと思います。

「1歳から100歳の夢」より13歳の女の子の夢

支えてくれた家族がいたからこそ、どん底の時期を乗り越えられました。
まだまだこれからだけど、心からありがとう。

1歳から100歳の夢
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stars生きる意欲を、ありがとう。

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転職して2年。

もうかれこれ2年です。
東京から尼崎に移ってきてから。

東京の暮らしは十分に満足していました。
これは奥さんも私も同じこと。

東京で一人目が生まれ、いつだったか二人で相談したのを思い出します。
二人とも高校出てから東京で長いこと過ごしてきたからでしょう。
家族から離れて暮らし過ぎたせいもあるかもしれませんが、30歳前後、孫がいるこの時間を両親や祖父母(奥さん方はご健在)と、我々の生まれた土地で同じ時を過ごすことがとても大切に想えたのです。

長年の東京ぐらしでできた親友たちとの別れも辛いものでした。
それでも、実家に帰ってくるという決断をし、実際に転居してからもう2年。

人生長く見積もって100年だとしても4%の時間。
長くもあり短くもあり、濃くもあり薄くもあるような、そんな2年間でした。

仕事に関しては、転職活動のとき、ホントはもっと上流(戦略コンサルとかITコンサルとか)を目指したかったんだけど、離婚率が高いとか関西にそんな仕事がないとか、年齢が行き過ぎててもう無理とかそんな理由で諦めました。
最近コンサルと仕事をする機会がありますが、確かに単価ベースで考えるとギュッと詰め込み型の仕事と成果を要求される職であり、仕事以外の時間なんてないんだろうなぁと思います。
振り返るに、その職に辿りつかなかった(つけなかった)のは必然のような気もします。

とはいえ、今の仕事がそれでは天職かというと、そうではなく、うつ病になったのは仕事に対するジレンマから来るところも大きかったように思います。
2年という時間を経て、仕事に対しても人生に対しても、より深く考える機会に恵まれました。病気にかかるというのは、悪い面もあり、良い面もあります。

さて、これからどういう道を探していこうか、多少ほぐれたこのアタマを使って、少しずつゆっくりと、自分の向かうべき先を探し始めようかなと思います。

復職して9ヶ月。減薬も進んでます。

前回6ヶ月の時からさらに順調に推移してます。
今は15mgのトレドミンを2日に1錠のペースにしています。

そもそも二人目が生まれてドタバタしてたので、薬の飲み忘れが目立ってきたという状況だったのですが、主治医に相談したところ、仕事に対する捉え方も含め、コントロールが出来ているので徐々に減らしていっても問題ないという見解でした。

というわけで、このペースで行けば、復職1年ぐらいで完全に断薬できそうかなーと思っています。
もちろん無理はしませんけれど。

仕事の方ですが、まぁボチボチやっています。
慣れない英語と格闘したりプロジェクトを主体的に進めるはずの人が不在で代役に走りまわったりと、波はあったりするものの、それなりに重く受け止めないように流せる部分は軽く流しているような感じです。
もうちょっと責任まで含めてプロジェクトなど任されてくるようになってくると、キツさが復活してくるかもしれないなぁと思いつつも、今はそのような立場にもないし、お気楽に考える方向でよろしくやっております。

今月末で復職して9ヶ月。
転職してちょうど2年になろうとしています。
実質は1年3ヶ月しか働いてないわけですが、段々「理不尽」さに慣れてきたなぁ、という実感があります。

真面目にやろうとしてドン底まで落ち込んで、考え方を一から組み立てなおして、ある意味「適当」な仕事こなしの日々。
今が何曜日か忘れちゃうなんてのもザラにありますが(笑)、今を生きる、ということはそういうことなのだと、今時点での私はずいぶんと納得しています。

このまま行けるとこまでボチボチペースでやってみようかなと。

32歳になりました。

今日で32歳になりました。
家族・親類からプレゼントをもらったり、遠方から友達や元教え子がメールをくれたり、Twitterの向こう側の人達がお祝いのコメントをくれたりと、沢山の人に祝ってもらいました。
そんな一日が終わります。

Posted using Mobypicture.com

一日、一日の積み重ねが一年となって、一年、一年の積み重ねがあって、この年を迎えてるんだなぁと思うと、また身の引き締まる想いです。

先日長女は生後1000日を迎えました。

Posted using Mobypicture.com

次は次女の生後100日がやってきて、その後長女の3歳です。

そういう積み重ねを考えると、1日/100日で見える世界と、1日/1000日で見える世界、1日/10000日で見える世界は全然違っていて、長女なんかを見ていると、きっと1日/1000日くらいの時間の感覚ってとてつもなく大切なものなんじゃないかと思います。

そんな一日一日をどう接してあげようかと、試行錯誤する毎日ですが、とても楽しいです。

こんな32歳のわたくしをどうぞよろしく。

※たしか10000日は27歳か28歳くらいだったかと思います。

復職六ヶ月の面談

会社の提携病院で経過面談をしてきました。

順調に行っていること、一時期躁転っぽくなってたことがあったことなど、いくつか話をして「そういう変化に気づくことが大事」というコメントをもらいました。

ついでに今の会社の再発率について思い切って聞いてみたところ、「一年以内の再発率(再休職)は3〜4割」とのこと。他の会社と比べてどう、という話についてはなんとも難しい顔をされていましたが「某社の産業医のデータでは5割だったところもある」ということ。

少し安心させる意味で悪い他社事例を教えてくれたのかもなぁ、と思いつつも病気自体の再発率はやはりそもそも多いようです。気をつけないと。

少し話した感触だと、再発に関してはやはり「復帰した際の仕事の具合」によるところが大きいとのこと。

結構仕事でバタバタしつつある状況なので、再度気をつけていかないとなぁと認識しました。

前の一ヶ月の時は、病状の報告どまりで終わってしまった感があったけれど、今回はいろいろと聞くことが出来て非常に有意義な面談となりました。

こうして記録しておく、ということは後で振り返ってその時の気持ちを思い出せるのでよいものです。たまに過去の記録を見ると、認知の歪みを感じることがでてきました。つまり、前より少し考え方、感じ方が変わってきてるのかもしれません。

復職して6ヶ月経過。現在減薬中。

2009年10月に復職したので、6ヶ月経過したことになります。

おかげさまで、ずい分と順調に経過しているようで、減薬にも乗り出しています。

先々月あたり、医者との相談の中で、「そのうちに薬を減らしてみましょう」という話が出たため、先月通院した際に思い切って聞いてみました。(医者側から話を出さないのは、あえてそうしているのかな、と思いました。自ら減らしたいと言うような状況でないと、減らしていくのがリスキーなのかもしれません)

私のケースも、若干の不安が残ってはいるものの、まぁなんとかなるかな、と思えるまで回復したからこそ減らしてみたいと、言葉に出して言える状況でもありますので、それはそれで判断としてはよい方向を向いているように感じます。

先々月その話がでるまでは、今飲んでる薬が最小量だと思っていたんですが、それも主治医の気遣いだったと今思えば感謝せねばなりません。
というわけで、先月半ばから薬の量を減らしています。今まで飲んでいたトレドミンは25mgのやつを一日一錠でしたが、15mgのやつが一日一錠に減りました。

主治医曰く、減薬の段階ではイライラやめまいなどが出る可能性がある、ということでしたが、今のところまぁなんとか乗り切っている感じです。

最近はずい分と「自分が病気である」という認識が、少し自分の身体から離れた位置で捉えられるようになったように感じます。こういう感覚がきっと「病気とつきあう」という感覚なんだろうなぁと考えることが多くなりました。

ずい分と頑固で凝り固まった考え方だったのも、少しずつ和らいできているような気がします。
すぐ忘れる、という点はなかなか良くならないものの、まぁいいやの精神をキープしてます。

これから本格的に寛解に向かっていくというフェーズの中で、うつが治るということは、元に戻ることではない、ということを常に自分に言い聞かせる必要があります。うつ病になるまでの30年間で培ってきた固定観念をじわりじわりと溶かしていって、思考のクセについて破壊的創造を果たしたいと切に願っていきたいと思っています。

これまでの道のり