家族という生命体

今月は久しぶりにたくさん働いているので、気づいたらブログを1日に書いただけでした。

というわけで、こないだ帰り道にふと思ったことを記しておこうと。
地球をひとつの生命体としてみるガイアという考え方がありますけども、家族についてもそんなふうな意味合いがなんとなく感じられるなぁと。

場の研究所の清水さんの講義では、よく「一人の人間」ということをとっても、場の中でたくさんの細胞が空間の中において、一日のうちにでも死・再生を繰り返しながら生きているのだ、という喩えを持って、地球や場の生命としての二重生命的な考え方を説明されています。

家族というのは地球ほどのスケールもないので、死・再生ということに関しては少し遠ざかるのですが(家系とかレベルで見たらそうかもしれませんけど)、新生児からちょっと抜けた7ヶ月の赤ちゃんと、乳児からは抜けた3才過ぎの幼児と暮らしていると、とてもそれぞれの時期で、親に対して在るフィードバックの感覚が違っているのがわかります。

例えば、赤ちゃん。
赤ちゃんと暮らす日々は、親にとても「五感」の大切さを教えてくれます。なんでも舐めて感触を確かめる姿、離乳食もそうですが、言葉がしゃべれない分、どんなふうに感じ取っているのだろう、を考えると、親側の五感も鋭敏になっているような気がします。

幼児に関しては、欲望、とても素直な、これやりたい、あれやりたい、を言葉で表現した、純粋な欲求に関する感覚が、親側でも鋭敏になっていくような気がしています。

まだまだ子供たちは外から得てきた知識なんかを家にもって帰ってくるようなことはないのだけれど、家という場の中で、同じ時間をたくさん過ごしていくことは、自分の人生という視点で見てみても、なんだか新しくて古いなにかを得ているような、そんな感覚です。

成長というのは、個人単位で考えることではなくて、こういう場全体の成長ということなのかもしれません。
なんだか分かりにくいかもしれないけれど、今小さい子供をかかえて、自分の時間が少ない状況だと、知識や仕事のスキル、みたいなものというのは、成長の伸びは鈍化していくはずです。だけれど、五感の鋭さが回帰するであったり、欲求に対する直感みたいな、他のものが成長しているような、そんなことが言えるのかも。

うまく表現はできないけれど、家族というひとつの生命体としてみたら、ものすごく成長していて、それは子供の成長を支えているから、親の成長が止まっているというわけではなくて、やっぱり個々が伸びて、全体が伸びる、ということなんでしょうね。

ちょびっとでも伝われば幸いです。

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