大変さの中に感謝あり

火曜日から奥さんが入院していて、子どもを中心的に見ている。
といっても、水曜日から金曜日までは、奥さんの親がサポートに来てくれており、日曜日以降もわたしの親がサポートに来てくれる。
近くに(といっても1時間以上かかるけれど)戻ってきたことのメリットでもある。
東京にいたら、こういうわけにもいかない。

水曜日に手術をするスケジュールだったので、この日は休みを取り、朝子どもたちを保育園に送ってから病院に。
難しくない手術のため、それほど心配することもない、ということだったが、手術室の前で別れてからは、やはり心配して戻ってくるまでの2時間ほど落ち着かなかった。(手術する、なんてそうそうないことだし、自分の中で必要以上におおごと扱いしてしまっている)
戻ってきた奥さんは、全身麻酔じゃなく腰椎麻酔だったから手術室の会話を色々聞いたり、手術内容について色々質問して教えてもらったりと、なんだかひとつ実験を終えてきたみたいな、余裕しゃくしゃくな感じでほっとひと息。
月曜日には退院予定ということで、順調に回復している様子。
普段の生活のバタバタでできない読書などして有意義に過ごすそうだ。なにより。

さて、子どもたちはというと、長女は4歳、次女は1歳7ヶ月。
ということで下の子はなにが起こっているのか正直よく分かってない。(そのためもあって断乳したということも含めて)
上の子は「入院する」ということもよく理解しているので、ちょっとブルー入っているときもある。とはいうものの、寝るときに寂しさがちょっと出るくらいで、基本的によくがんばっている。

ふたりの面倒を見ていて思うこと。
いつもは、なんだかんだいって、すこし遠目から、子どもたちを見ているのだなぁということがはっきり理解できた。
少し仕事が忙しかった時期もあり、その頃からきっと、そのような見方が定着してしまったのだろうと、とても反省しないといけない。

ごはんを食べさせるとか、オムツがえとか、風呂に入れるとか、遊ぶとか、断片的にはいつも面倒を見てはいるけれど、それは主体的に見ている感覚とはいえないのだと思った。

例えば、栄養のこと含め何を食べさせるかを考えて、一日のトイレの感覚が長くないか・声をかけてやらないといけないかどうかを考えて(長女の場合)、鼻水が続いてることを気にかけて、夜中におぎゃっと泣いて起きるのをあやしたり、保育園から帰ってきた後の家での遊びで何をやらせようか考えて、保育園での様子を聞くときに気にすべきことを考えて、などなど。
うまく言葉にしにくいけれど、主体的に面倒をみる、という意味ではぜんぜんこれまでの自分はできていなかったなーということを痛感。

事前に入院するということが分かってから、頭で生活のシミュレーションはしていたものの、考えるのと実際にやってみるのとは大違い。
大変なことも多いけれど、色々と気付きがあるなかで、一番良かったなと思うのは、日々周りから協力いただくことに対する感謝の念がさらに強くなった、ということ。

まず第一に奥さん、仕事で不在になる時間が一分でも多ければ多いほど、子育ての主体性はわたしから奥さんのほうに比重が移ってしまう。それを日々こなしてくれているということに感謝。
またお互いの両親にも、こういうときに喜んでサポートしてくれる、ということにこの上ない感謝。
保育園でも、今回のことでとても手厚くサポートしていただき、また子どもたちの普段との変わった様子もしっかり伝えてくれるほど、よくしていただき感謝。

子どもたちは沢山の人に愛を与えてもらって、健やかに育っていくということが、前よりも一層わかるようになった気がする。
こういう機会が今、この時期に訪れたということに感謝。

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