2009年の1月、初めて病院に行きました、いわゆる心療内科。
それまでは大きな病気という病気には罹ったこともない自分が、大きなうねりに飲み込まれてしまったかのように、思考力、判断力がガタ落ちし、藁にもすがるような思いで訪れたような記憶が残っています。
「様子がおかしい」、と初めて奥さんに言われたとき、頑固な自分が「あ、そうなのかもな」とはっきり自覚できる程だったということは、あの頃相当に追い詰められていたのでしょう。
駅のホームに吸い込まれていきそうな、そんな感覚さえ体験しました。
あれから、ちょうど2年が経とうとしています。
順調に良化傾向にあった自分のケースでは、薬を抜いてからというもの、さらに「普通」の感覚というものが戻ってきたかのようです。
10月頃、主治医から「後は年が明ける前くらいに一度最後の通院をすればもう大丈夫でしょう。」と言われました。
先週、その最後の通院を終え、完全に一段落着いた、ということになります^^
職場の環境や、仕事内容そのもの、子育てのバランス、職場の空気感、まだまだたくさん思い悩むことはあるものの、「未来に対して、予測を立てられる」という状況にあるということは、とても大切なことだと、主治医は言ってくれました。
つまり、ある程度、冷静にものごとを捉え、自分の体調・心調を鑑みた上で、行動を予測し、制限まで実行することができる、そのことが再発の予防となるのだと解釈しています。
主治医曰く、普通は薬が抜けたら、ひとまず寛解ということらしいのですが、とりあえず通院が終わる、というこのタイミングで自分自身も「寛解したよ」宣言をしたいと思いました。
何時までも、まだ調子が悪くて、と言い続けることは簡単だけれど、「普通」の状態に戻ることができた、ということは、負荷に対してもちゃんと負けん気を出して、頑張れる、ということとイコールなのだと思うのです。
もちろん、再発のリスクはそれなりにあるという事はわかっているので、そんなに我慢の連続はできないとある程度割りきってはいますけど。(実際に残業が随分増えてきて、子どもと遊べなくなってきていたので、減らしてもらったりもしています。)
なんだか、あの辛く苦しかった日々が嘘のようで、当時のドン底の苦しさも忘れてしまいました。
忘れるのが必ずしも良いことではないですが、人間は前に進むために、脳に忘れる機能が備わってるんだなぁということを実感します。多分あの苦しみを簡単に思い出せてしまったなら、怖くて簡単には前を向いて進めないことでしょう。
今の自分は、とてもとても深い井戸に落ちて、はいあがってきたという感じです。
必死で上がってきたので、もうその時の暗さや深さなど思い出せない。
ただ、振り返ると、落ちた井戸からも光は見えたのだと。
それが、家族であり、友達であり。
たった2年で、まともに仕事が出来るレベルにまではいあがってこれたのも、周りのサポートあってこそと感謝の気持ちでいっぱいです。
生きるということの中で、この2年間は、ほとんど自分の内面を向いて歩いてきました。
最近読んだ99歳の医師(現時点)、日野原重明さんの本に、「いのちの授業」のDVDが付いていました。
小学生向けに故郷の山口で行った授業をDVDにしたものですが、とても心に響きました。
いのちとは何か、目に見えないものである。
とても大切なものほど、目に見えない(愛や平和)
与えられたいのちを、与えられた寿命の中で、なんのために使うのか。
子どものうちは自分のためだけに使っているが、いずれそのいのちを他の人のために使うことを考えて欲しい。
いのちの大切さが伝われば伝わるほど、世の中は平和になっていく。
さて、このいのち、どのように使っていくべきか。
今回の件で、自分にも、「目に見えない大切なもの」がいくつか感じられるようになった気がしています。
まだまだ試行錯誤が必要ですが、のんびりじっくり、他の人達のために使うことを考えていきたいと思う2010年の暮れでした。
病気の折、なんらか私に対して心を配っていただいたみなさま、心を込めて感謝いたします。
こうして私は元気になりました^^
これからもよろしくお願いします。
生きてるだけで100点満点 99歳のぼくから君たちへ | |
日野原重明
ダイヤモンド社 2010-09-10 |
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