復職して10ヶ月。断薬始めました。

次女が生まれてから薬も忘れ気味になっていて、それをきっかけにずいぶん減らしてました。
前回通院時に主治医からは、梅雨が明けたくらいに忘れてたらそのまま忘れてしまってもいいんじゃないでしょうか、という言葉をもらっていて、すっかり忘れているわけでもないんだけれど、今が止め時なんじゃなかろうか、なんて思ったので、断薬を始めてみました。

7月に入ってから実のところ仕事が忙しくて、結構バタバタしているものの、まあなるようになるかってな感じで適当に仕事できているというところもあり、7月14日くらいからなんとなく飲むのをやめました。
完全に順調なわけじゃなく、仕事のプレッシャーが大きくなってきてるのもあり、若干頭が痛い日だってあるし、相変わらずシンガポールやオーストラリアの英語はようわからん、ってところもありますし、奥さんの体調(突発性難聴)のほうも当初より良くなってはいるものの結構心配だったりと色々あるんですけども、完全に順調になってから薬を抜くなんて、よくよく考えたら馬鹿みたいじゃないかと。

「普通」「普通」と普通の人生や普通の生き方ばかり追っていくのがうつ病の症状でして、こうした「普通」を渇望する自分の矛盾っていうのがずいぶん客観視できるようになったということが、寛解ではないけれど、ある意味薬を不要とする程度の快方へのひとつの区切りのように感じています。

思えば1年7ヶ月、薬を飲み続けてきたわけだけれど、脳になんらかの作用を与えるわけのわからんものを投与してきたわけです。
もちろん、薬を全否定するなんてことはできなくて、きっと自分にとってなくてはならないものだったし、寛解しているわけでもないのだから、今後も全くもってお世話にならないとは言い切れないところもあります。

認知が歪み、「自分が社会、世界、宇宙の中で無意味であり不要な存在である」
そういうことばかり考えるようになったら、薬なしでは歪みを正すことは非常に難しいでしょう。
今後もしそういう状況に陥ったとしたら(勿論あってはならぬと思ってはいますけどね)自分を破壊する前に、薬の力を借りることがとても大切な事だとこころから思えます。

心が「強い」「弱い」だなんて、人間の人生の中では折々の変化があって、先が絶対大丈夫なんて言い切れないとおもいます。私だけでなく家族、親族含めてそういうことをケアできる人間になれたような気がするし、そういう気遣いを大切にしていきたいと思います。それが今回の経験によって得られたことかもしれない。よりやさしくなった、なんて曖昧な表現じゃなく、よりつらさがみえるようになった、という感じでしょうか。

とはいえ、まだまだ病気と付き合っていくという感覚が大切なように感じるので、まだまだ寛解宣言はできませんが。

とても大好きな夢を紹介します。

 私はみんなみたいな野球選手になるとか先生になるとか、そういうかっこいい夢は今はありません。小学生の時にはパン屋さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか言っていたのに、今ではどうせなれないよと考えてしまいます。
 けれど今の私には、家族の役に立てる自分になりたい、という思いがあります。中学生になってから部活や勉強で自分の事だけで精一杯になってしまう私は、家で親の手伝いや妹と遊んであげることができません。そんな自分はだめだと思っていました。けれど、学校で見たビデオでは、
「生きているだけで人の役に立っているんだね。」
と言っていました。
 そして私は、生きているだけで役に立っているのなら一生けん命生きようと思いました。これが夢かは分かりませんが、今の私の思いです。仕事にまつわる夢は、これから考えて行こうと思います。

「1歳から100歳の夢」より13歳の女の子の夢

支えてくれた家族がいたからこそ、どん底の時期を乗り越えられました。
まだまだこれからだけど、心からありがとう。

1歳から100歳の夢
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