ちょうど一年前、成人式の次の日でした。
午前三時頃に目覚め、布団の中で全身汗をかきながら震えていました。
もう、自分が自分ではない状態なのは、重々わかっていたような気がします。
あの時、もはや職場にいても何もできない自分は、完全に意味のない、価値のない存在であると思い込んでいました。
毎朝聴く日経をポッドキャストに入れて、聴きながら通勤していましたが、いつの頃からか iPod も聴かなくなっていました。
通勤電車の中では、1ページも進むことなく、業務知識の習得のための本が開かれていました。
何かをやろうとしても、一歩も前に進まない状態だったのです。
周りが気づいて止めようにも、半年しか一緒に過ごしていない同僚には何気なく振舞う私の内面は捉えられなかったことでしょう。
ここまでひどくなるまでに至ったことについて、上司含めてまったく周りを恨んだことはありません。
むしろ、この人達の役に立てない状況に対して、常に自分を追い込んでいました。
今思えば、半年で10年選手たちと肩を並べようなんてのがおこがましい考えだったわけですが、結局のところ無理をしたのです。
その一言に尽きるのです。
転職し半年、上手くいかない日々、この仕事は合わないのではないか、と何度も何度も考えました。
嫌いな仕事を続けていること、さらにその上時間を極限まで削られて子どもの世話もできないということが、心を蝕んでいるのだとずっと思っていました。
一度考え始めた思考は脳裏に焼き付き、どんどんエスカレートしていったように思います。
元々がプラス思考で生きてきたのに、環境の変化を甘く見すぎていたのです。
一度マイナスのスパイラルに陥ってしまうと、もはやそこから抜け出すことは出来ませんでした。
このようにして、徐々に心が壊れていったのです。
そして崩れるときには、がらっと大きく崩れました。
最初の一週間のことを、今でもよく覚えています。
上司の前で泣きまくって、申し訳ない、もう働けないと訴えました。
診断書を出してもらってからは、感情がなくなりました。
義母や義妹、実母がわざわざ来てくれているのに、微笑むことすら出来ませんでした。
洗濯物を一枚たたむのに、10分も20分もかかりました。
まさに、心がはたらかない、そんな状況でした。
いろんなことを考えました。
今、一年が経って、まだ道半ばですがずいぶんと心は軽くなってきています。
これは、仕事を休ませてもらったから、家族がいてくれたから、そのことが本当に大きいのです。
少しずつ、少しずつ。
一年しか経っていない、まだまだ落ち着いてゆっくり仕事に慣れなければならない。
このように考えられるようになったことが、この一年の進歩です。
今までの私の性格ではこんなにものんびりと考えることなんてできなかったでしょう。
「生きてゆく」ということの大きないのちの働きが、このように成長を促してくれたのだと思います。
時間が解決してくれること、ということは、いのちの中にある力がチリのように少しずつ積もっていってくれているからなのではないでしょうか。
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