書くこと、もしくはアウトプットするということ

ブログを始めてから3ヶ月ちょいが経ちました。

半月くらい書いてなかったけれど、書きたいことがなかったというわけでなく、バタバタしてただけなのです。

とりあえず、3ヶ月間のこのブログのアクセスデータはこんな感じでした。
(3月途中から始めたので、4月1日〜6月30日まで)

パソコンからのアクセス数(Google Analytics より)
 ユーザー数:1260
 セッション数:1725
 ページビュー:3185
(貼付けようと思ったんだけど、Google Docs で PDF は張付けられませんでした。)

ケータイからのアクセス数(うごくひと より)
 

メディアというには届く範囲が小さすぎるけれど、一応ちゃんとどこかしらには届いている。
mixiもちょいちょい書いているけれど、ブログとの最も大きな違いは「検索」して辿り着くかどうか。
少なくともケータイのアクセスはほとんどが検索から辿り着いてきているものだと思います。
ケータイ用に画面変換してくれるプログラム(Ktai Style という WordPress のプラグイン)のおかげで、ケータイから気軽に検索したときにこのブログへのアクセスが増えるというわけです。

人に届く、ということ自体は、書くこと、へのモチベーションにつながります。
別にコメントに反応がなくっても、そこそこ見てもらってるだけで、なんか伝わればそれでいいのです。

何かを話したとき、音として発された言葉は減衰してその周りに居た人にしか届きません。
その話が人の心に残っていたら、次の誰かに少しモディファイされてまた届くでしょう。
紙が存在する前はそうやって人づてでよいコンテンツだけが残って行ったのかもしれません。
紙が出来て本が出来ても、表現し書き伝えることが出来たのは一握りの人間、昔ながらに残っている良書というのはそういった良いコンテンツなのかも知れません。

ウェブができてブログが出来て、何でも誰でも簡単に発信できるようになったことで、玉石混淆のものがたくさんインターネット上に蓄積されて行きました。
蓄積されたものは、玉でも石でも、発する言葉と違って残ります。検索でひっかかって、もしかしたら書いた10年後のあなたに届いているかもしれません。大人になった娘に届いているかもしれません。

それでも何が玉で何が石か、人の主観、同じ人でもそのときの気分によっても異なってくるでしょう。
15やそこらの子供にとっては、子育て情報は石かもしれないが、30過ぎて一人目の子供を愛する自分のような人にとっては日常の写真一枚でほっこりすることもあるでしょう、そういう情報はその人にとって玉なのです。
文章だけに限らず、写真でもムービーでも音楽でも何でも同じように感じます。

生きてるだけで自分の何かが誰かに影響を与えている。
巡り巡って人の役に立っているんだという感覚を持ちながら、なんか書けたら良いですね。

なんも書いてないなら、You書いてみなよ!
書いてれば勝手に書き方も上手になってくよ!
いつか多くの人から玉と見られる存在になるかもしれないよ。

ということでブログ3ヶ月目の雑感でした。

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