書くことの継続性に対する努力と対価

長めの文章をいくつかポストしてみているが、どうやら文章力がずいぶんと無いことが実感できた。

これはちょっといかんなということで、ちょっと継続的にブログで文章を書いてみたいと思う。
毎日書くとかいう目標を作ってしまうと、挫折する事うけあいなので、ちょっとした時間で文章を書くことに当てて行きたいと思う。要するにネタや主張はなんでも良いわけだ。

Tumblrとかブックマーク系のサービスを使っているけれど、細かいコメントの中にエッセンスをつめるみたいなことをしていると、きっと論理立てた文章はへたくそになっていくように感じる。
そういう能力も必要は必要だろうが、あくまで呼び水的(ちょっと興味を持ってもらうよう)なものに過ぎないと思う。

とにかく書いてみて、書いたものを見てまた考える。
そういうことが論理的な思考力を回復させるトレーニングになりそうだ。

結局のところ、書く事で誰かが読んでくれていればそれでなんとない、安堵が生まれるのかもしれないけれど。

最近届いたTOEIC関連のメールで、点数が高くても英語を「使う」ことにはならない、というのがあった。
自分はその典型だ。去年受けたときは710取れたけれど、全く話せもしないし、読むスピードも書くスピードも遅い。

『Learning is using. Using is learning.』と書いてあったけれど、日本語も同じ。訓練あるのみである。

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