じいちゃんのバースデーを祝う
数日先が誕生日だけど、三連休で実家に帰っているので、誕生会をしました。
じいちゃんは今年で73才。
70で初孫だから、少し遅い方なのかな。
ばあちゃんの誕生会をした3ヵ月前は、バースデーソングが歌えるようになっていたお嬢ちゃん、今回はロウソク立てにチャレンジ出来る様になりました。もちろん独創的な立て方ですけども(^^)
私の誕生日の9ヵ月前は、パパお誕生日おめでとうと言ってくれたくらいだったから、とてつもない成長です。
ホールのケーキを囲んで祝うというのは、とてもこころの成長にもいいのでしょうね。
さて、次はママの誕生日が控えていて、その次には新しいいのちの誕生です。
過ぎゆく日々はあっという間だけど、その一日一日を大切にしていかないとね。
ここらで手や気を抜かないとね。
自戒を込めてメモ。
もうちょっとたてば復職しては6ヶ月。
少し仕事がバタバタしつつある。シンガポール人のわかりにくい英語と格闘したり、大きめの役割を与えられ、各部のコントロールに頭を悩ませたり。
現体制に対し、もっときちんと役割・責任を果たした仕事をすべきだ、という心の主張が強くなっている。周りのファジーなやり方に「雑すぎる」と怒りを覚えてしまう。ついつい議論中にイライラをぶつけそうになっている。それを我慢して頭に歪みを覚える。
往々にして自分の中で完璧主義者的な発想が見え隠れする。そんなことがこの少人数で出来るはずのないことも知っているにも関わらず。これをコントロールできない限り、自分の寛解はないのかもしれない。
今読んでいる「日本辺境論」で、武道的な「天下無敵」の意味、というパートが出てきた。
老いや病や痛みを「私」の外部にあって「私」を攻撃するもの、と捉えてしまうとベスト・コンディションの「私」が敵のせいで崩れている、という発想となり、いずれ敵だらけになってしまう、という。
しかし、「天下無敵」とは敵をそもそも作らないこと、老いや病や痛みを受け入れ、それが「私」であることを認識し、敵無しと発想することにある。
周りのことをもっとよしとして受け入れる。
その中でできること、やれることに集中する。
個と全体という二重生命的な感覚を忘れてはならない。
手を抜く、気を抜く、が悪い言葉のように見える、それ自体が凝り固まった発想なのだろう。
イライラが減りますように。
自戒を込めて。
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今日の雑記
今日もつれづれと書いてみる。
頭で考えてることを書き出すと、後で推敲しないとまとまりがなくなる、というのが昨日書いてみてわかったこと。
とは言え、時間の短縮にはいい感じなので、同じスタイルで書いてみようかと思う。
最近の出来事。
ここのところ、通勤時間のうち10分弱を読書に当てている。
乗り継ぎが何度もあるので、座れる時間がそれだけ、ということなんだけれど。
前に読んでいたのが、うつ病の脳科学、という本。
臨床で進歩してきた精神科の医学に関しても、検体を使った研究ができないのでなかなか行き詰まっているということ。
そこで、筆者が提唱しているのが、脳バンク。
脳を切り取って実験に使うことができれば、脳のどの機能が病因となっているかがわかるという。
現状の社会的な背景なども考えると、脳を研究のために提供するということは難しいそうだ。
それは、自殺で得た脳を研究のために利用するということが難しいことが大きいとのこと。
過去に病気になって、その後回復し天寿を全うしたような脳の状況であったとしても、今後の精神医療の進歩につながるのであれば、個人的にはぜひ協力したいと思うところではある。
それは、このような苦しみを味わうということが正しいことではないように、今でも感じるからかもしれない。
他の人には味わって欲しくはない。
視点を変えれば、こういう経験で得たものがあり、成長ができたのかもしれない、ということを差し置いても、このような病気には「なるべきでない」と思うからなのだろう。
これからどういうステップを踏んで、脳バンクというものが実際に始まるのかはわからないが、人類の中で苦しみがひとつでも減っていくというのであればそれは喜ばしいことであり、その時には是非提供の意思表示をしたいと思う。
とはいえ、今臓器提供のなにかをしているか、というとそうではない。
自分がたまたま病気にかかったから、脳バンクには賛成だが、臓器提供には関心を示さない、というのもおかしな話だ。
もう少しいろいろと考える必要があるな、もういい大人なのだから。
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3月ですね(雑記)
つらつらとたまには書いてみようかと。
校正?推敲?したりとかすると、ブログは時間がかかってしまうので、一切書きなおさない方法で書いてみたいなーと最近思ってました。
ひとつの記事(エントリ)に、人はどれくらいの時間をかけるのかな?
考えこむと、どんどん時間が経ってしまうパターンが多いので、それも兼ねて書いてみます。
というわけで、びゅんびゅん話が飛ぶんじゃないか、と思ってこのタイトルに。
もうすぐここでブログを書き始めてから1年が経つのですが、前はいろんな所でいろいろと書いていました。
初めて文章をウェブに打ち込んだのははてなダイアリーだったかな。
http://d.hatena.ne.jp/takeyas/
どうやら2004年6月13日、26才になってすぐの頃のようです。
2005年8月にはサーフィン用に別途ブログを始めました。
書くことで、冷静に振り返って上手くなれるんじゃないかと思った記憶があります。
それから同期(前の会社の)に誘われてミクシィを始めました。
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=2773002
2006年1月26日、27才のとき。
また、仕事でマーケティングに関連するシステムに携わってたときは、それ用にブログを始めました。
これは結局ほとんど書かなかったけど、やっぱり頭を整理するのに役立ちました。
2006年12月に始めてるみたい。
いろんな所でいろんなことを書いてみたけれど、なかなか継続するのは難しいですね。
このブログは、ジャンルなし、ということで始めたのです。
それで続くかどうかは分からないけれど、とりあえず継続して頑張ってみようと思います。
今後ともよろしくです。
(これくらいで15分くらい。やっぱり結構時間がかかってしまう。)
ConvoTrackでパーマリンクに対する見えないリアクションを調べる
ここ一年くらいポッカリと時間が出来たので、ウェブをずいぶんよく使うようになり、いろいろとソーシャルなサービスが増えてるなぁというのを実感してました。
つまるところ、ソーシャルなウェブの仕組みというのが、発信されたなにものか、に対するリアクションがコミュニケーションになってソーシャルに広がる、みたいな感じだと思ってます。
それがクローズドなSNSとなるか、もう少しオープンで検索によりたどり着ける世界か、という区別はあるとしても、大抵はウェブ上において発信された何か、というのはどこかに繋がっていくことが圧倒的に増えてきた(繋がりやすくなってきた)気がしています。
それでちょっと考えてたんですが、なにかしら発信されたもの、というのは基本的にパーマリンクがあり、そこには見える反応と、見えない反応があると思います。
ブログのエントリで言えば、見える反応としては、コメント、トラックバック。直接その人を意識して起こしたアクションです。
見えない反応としては、ブックマークサービスに付けられたコメント。どこか別の場所でその人を意識せず起こしたアクション、いってみれば井戸端会議的な発言みたいなものです。
これは、ブログで考えてるのですごく単純化されてますが、すべてのサービスにおいて同様だと思います。
例えば、あるツイートに関しても同様で、@のmentionで回答すれば見える反応になりますが、ブックマークしてコメントをつければ見えない反応になります。書くというだけの反応だけじゃなくて、実際はもう少しややこしくて、直接Favoriteすればある程度見える反応ですが(ふぁぼったーとかで見れば)、Google Reader とかで Twitter を登録してて、そのツイートに対して Like とかつけてもこれは見えない反応です。
と言うわけで、見えない部分を見えるようにできるツールが無いものかと、ちょっと探していたら見つけました。
ConvoTrack と言うのがあって、内部では BackType というサービスからAPIでデータを引っ張ってきているみたいなのですが、とにかく Twitter とか Friendfeed とかその他ブログとか諸々のサービスの中で、とあるパーマリンクのコンテンツに対して何かしら触れているコメントを全部引っ張ってきて表示してくれるのです。
やり方は簡単。
このリンクをツールバーに置いておいて、誰かがツッコんでそうな記事を開いているときに、押してみてください。
左にペインが開いて、見えない反応が見えますね。
これで、ウェブの中の反応を100%拾ってきてくれてたら文句ないのですが、とりあえず以下のものは含まれてなさそうです。
1. はてなブックマークのコメント
2. 何らかの好感を示す意思表示(TwitterのFavorite等々)
1.は別途ブラウザの拡張機能とかを入れるか、もしくはこのリンクをツールバーに置いて同じように使えばいいのですが、問題は2.ですね。
これは結構コンテンツを作ってる側としては知りたい反応なのにも関わらず、一元的に並べるのは難しそうです。
なんかそういうの実装してるサービスはないのかなぁ。
そういえば、自分もいろんな所でこの「Favorite」というアクションをしています。
例えば、Twitter の Favorite、Google Reader の Like、Logpi の Love、QUICKR の Favorite、はてなスター、FriendFeed の Like、Tumblr の Like。
最近あんまり使ってないのも多々ありますけど、並べてみるだけでたくさんありますね。
忘れないように、フィードを登録しとこうと思いました。
自分が起こしたこの「Favorite」のアクションで、どこかの誰かにメールが届いたりしてるわけですからね。
こういうのを一元化して、ずらっと見ることができたら、もう少しサービス側でのAI的なリコメンデーションが進んでいくような気がします。
トイレトレーニングの出来事
うちのお嬢ちゃんの成長っぷりが激しくなってきました。
去年の11月半ばからトイレでおしっこが出来るようになったうちのお嬢ちゃん。
少しずつ毎日に近づいてきていたため、今年に入ってから星取表をつけるようにしました。
1月の戦績はこんな感じです。
月半ばで少し停滞していたものの、基本的には夜寝る前にはトイレに座っておしっこしてから寝る、という習慣がしっかりついてきた、というところでした。
2月の戦績は今のところこんな感じ。
キティちゃん関連のキラキラしたシールはうんちです。(他はおしっこ)
というわけで、4日連続うんちがトイレで出来ています!
ここ4日シールがはみ出しまくりという嬉しい悲鳴!
(デカイシールもありますけどもね。)
なんと、今日は保育園で昼寝の後からずっとパンツをはいていて、おしっこ数回、帰ってきてからうんちと、まったくパンツを濡らさずに寝ることが出来たという、なんともぶっ飛んだ成長っぷりであります。
なにかが出来た時の「できるとうれしい」という気持ちは、それだけでエネルギーを生んでいるような気がします。
もちろんたくさん褒めてあげてるので、調子に乗ってるのもあるでしょうけれど、やっぱり自分で出来るということの喜びはもっと根本的なもののような気がします。
こんな調子で、なんだか成長っぷりがすごくて、トイレだけでなくそれにつられるかのように、おしゃべりだとか洋服を着るときの様子だとかまでレベルアップしてきてるように感じます。
できないことも、「実はできるんじゃないか、自分でやろう」オーラを出してるような感じなのです。
「自分でしたいの」といって怒ることも増えてきました。
好奇心みたいなものが湧き出ているのかなーとちょっと思いました。
成長するときは竹の節目の如く、ぎゅぎゅっと詰まっているという話にもリンクするように感じます。
なんだか、爪の垢でも煎じて飲んでみようかと言うぐらい、わが子なのにリスペクトしちゃいます。
この調子で勢い余って時計の針を教えようと思ってます、のんびりと。
まずは寝る時間を教えておいて、針が動く間の時間の感覚、というのを身につけてもらおうと。
<追記 2010/3/1>
2月の最終成績はこんな感じでした。

2/28には一日布パンツで過ごせたりと、今のところカンペキにパンツ生活が出来ています。
自信は力を生むというのが、すごくよく分かりました。
どんどん調子にのってもらおうと思います(笑)
久々に落ち込み
先週末くらいから久々に落ち込みの状態がありました。
復職して4ヶ月半、突発で休んだことはあんまりなかったですけど、昨日は年休入れました。
ここのところ子育て系の話で書きたいことも結構あるんだけれど(音楽の絵本に行ったとか、年明けからトイレの星取表をはじめたとか、時間の概念が出てきたとかいろいろ)、まとまったものを書き上げるエネルギーがどうも夜に残ってません。
逆に抑うつの状態のときは夜に向けて少し気分が上がってるという変な状態。
というわけで、2月に入ってまったく書いてなかったブログを久々に今日は更新します。
抑うつ状態になると、自分の場合は孫悟空のわっかの位置がじわーっと「ぎしぎし」した感覚になります。
これは普通のいわゆる頭痛というほど痛いわけでもないけれど、脳が悲鳴を上げてるような感覚です。
久々にこれがちょっと出張ってきてしまったので、週末からぐったりモードというわけでした。
こういうときは大体思考のループに入っています。
抜けられそうで、抜けられない。
うつ病は気分障害の一種だけれど、気分をコントロールする機能が壊れている状況だから、まあ抜けられないのは仕方ないかもしれません。
抜け方はわかってるんですけどね、「まぁいいや」と気持ちをぶった切るのです(笑)
わかっていることとコントロールできるということがリンクしないからこれまた厄介です。
そういえば、ずっと沈みこんでいた去年の今頃、森山直太朗の「生きてることが辛いなら」を何度となく聴きました。
タイトルがえげつないので、奥さんの前では聴けませんでしたけど ipod touch で聴いてました。
いざ抑うつ状態にあって、これを聴いてどういう感覚なのか、言葉では説明できないけれどなにかしら力をもらえた気がします、私の場合は。
久々に今日の通勤でふと聴いてみて、ちょっと泣きそうになりましたね。
あの頃に比べれば、雲泥の差で良くなっています。
少しだけ頑張れるくらいに。


日本人についての「もやもや」を正当化してくれるような一冊
目端の利いた著作
著者も編集者もゆるゆる状態である。


専門的で重たい箇所もあるが、有益な示唆を含む良書



