新しいiPadを買った話

3月も残すところあと一週間となりました。
また寒さがぶり返してきてなかなか暖かい春、というわけにはいきませんがもう春は目前まで迫ってきています。

さて、こないだ新しいiPad、買いました。

二年前の初代iPadはそんなに欲しくならなかったですが、去年iPad2がでたときにやたらと欲しくなったものの発売日近辺がどこも在庫不足で買えず、そのまま買わなかった、というわけでこれまでiPadを持ってませんでした。

iPadに限らず、タブレット、という市場が新たに出来てるので、Androidの安いタブレットでもいいかなぁと一時期思ってはいたものの、iBooks Authorが出てからは、そのうちiBooks形式のドキュメント作ってみたいなぁと考えはじめてiPadしか目に入らなくなりました。

ハードウェアに惹かれてモノが欲しくなる、というのがこれまでの時代はスタンダードだったように思いますが、徐々にソフトウェアでハードを選ぶようになってきてるんだろうと感じます。iPadに3とかバージョンを表す数字を付けなかったのも、多少混乱を招きましたがそういうことだろうと感じました。

画面の綺麗さというのは、確かに凄いです。
コンピュータの画面がこんな風に綺麗だというのは、想像したこともなかったですが、こうして風穴が空くと、PCの世界でもこれくらいの高解像度のディスプレイがどんどん増えてきて、調達コストも下がって徐々にリーズナブルになるとともに、当たり前の機能になっていくのでしょうね。マルチタッチもそうですが、いつもながら、新しい(わけでもないかもしれない)技術を世界のスタンダードに導いて行くところは凄いと思います。

このポストも新しいiPadで書いてみました。
横画面にして普通にキーボード叩いてますが、ようやくちょっと慣れてきた感じです。
まだまだタッチミスが多いですが、慣れれば十分このキーボードでも長文がかけそうです^^

こんな感じの見た目で打ってます。

20120326-054519.jpg

一年後の世界

震災から一年が経ちました。
直接的、間接的に被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。

一年経って、何かを書けるだろうか、と思ったけれど、とても何かうまく表現できる気がしません。
とはいえ、何かを書いてみることで、そこでは表現できない何ものかが文脈からにじみ出るような感じで、どこかの誰かに伝わればいいなとも思います。

一年前のそのとき、わたしは大阪で仕事(会議)をしていました。
ゆっくりでしたが、とても大きな揺れがあり、久しぶりに体感する地震でずいぶん感覚が鈍ってしまっていました。
会議室から出ることもなく、揺れが落ちついた後、すぐに会議を続けました。

思えば高校1年生だった阪神大震災のとき、明石で震度7の揺れを経験し、その後も余震の続く毎日を過ごしていたのですが、時間の経過とともに自分の中の危機感も薄れていってしまっている、ということをとても痛感します。
時間が経つ、ということは、危機感が薄れていく、ということでもあります。
これは人間の本能的なものでもあろうかと思いますので、意識的な振り返りが必要です。

今一年が経過して、一年後は今のような状況になっているだろうと、想像している人はいたのでしょうか。
原発事故に始まった電力の問題、放射能の問題、地域の復興の問題、仮設住宅の問題、解決までにほど遠い問題が山積みになっているように感じます。

そんな中、震災後、自らの仕事についても考えることが多くなっていました。
今の仕事をしっかりとやる、ということで、日本の落ち込んだ経済を再び回るための一助になるべき、という想いを持ってこの一年やってはきましたが、やはり自分がやるべきこと、とは少し違うような気持ちもどこかで持ったままです。
自分が経済的にしっかりし、寄付をすることで被災地の復興にも協力する、という考え方と、自分の生き方について照らし合わせてみたときに、自分の中でしっくりくるような気がするときもあれば、しっくりこないときもあるのです。結論は出ないものの、このまま今の仕事を続けていくことでよいのか、たまに悩みます。

こういう悩み自体、きっと現地を見ていない、ということも関係しているように、自分の中で思うところがあります。

これから何年か経って、子どもたちが物心ついて、理解が出来る年頃になったときに、直接子どもたちを連れて現地に行きたいと思っています。
小学校の修学旅行で、広島に行きました。原爆の被害に遭われた方の口から直接、当時の状況をこと細かに聴きました。そのときのストーリーや内容というのは、今も完全に忘れてしまって自分の頭には残っていませんが、別のものが自分の頭には残っています。その話をしてくれたおばあちゃんの「意識」そのものが自分の頭の中に残っているように思うのです。これは、言葉で語ることはできませんが、とてもとても自分の中で大事なことなんだろうと、そんな風に感じています。源体験、のように自らが体験したわけではないけれど、そこに少し近い何ものかを受け取った、ということなのかもしれません。

阪神大震災でも、5年や10年は復興の最中でした。
原発事故のことを考えると、復旧すらままならない状況で、復興を遂げるというのは世代を超えた取り組みになるのだと思います。
自分の中で今すぐでないにしろ、もっとより人生の一部に、自分に近いものとした動きや行動をしていきたいなと、一年経った今感じています。

週末、テレビでたくさんの映像が流れていました。
映像の力は本当に大きなものだと思います。

家族、親類、友達を亡くされた方、言葉で伝わらないものが、映像を通して、表情を通してとてもダイレクトに、心に響いてきます。
数えきれぬほどの方が、このような想いをもたれた、ということは、本当に言葉にできません。

私の経験した病気も似たようなところがあるかもしれませんが、実際にその場にいて体験をした、ということと、映像を通して疑似体験した、ということは、天と地ほどに違いがあって、よく「風化」と言いますけど、そのスピードも桁が違うと思います。
ですので、まず自らを「風化」させずにいるための策について、しっかりと考えていきたいと思います。

テレビなど映像からプッシュされてくるもの、だけでは不十分です。
自らがプルし続けることで、自らの意識を持続し続けることができるものと思います。

書いてみて、予想通りまとまりはないものの、引き続き、震災により向き合って生きていきたいと想いを強くしました。

iPod Touch と Apple TV をアップグレード

iPadを今回こそは買おうと思っております。
新しいほうのiPadです。

Retinaディスプレイがどんだけすごいのかは、iPhone持ってないのであんまりよくわかりませんけども、うちの32インチのリビングのTVよりも解像度がすごいとか、1080pのFull HDでビデオが撮れるとか、ちょっと考えただけでますます欲しさが増してくるのであります。

で、今日の朝、昨日の夜中の出来事をスマートフォンで眺めながら通勤してました。
確か前のAppleの大きなイベントのときは、まだスマートフォン持ってなくて、Twitterでテキスト情報からいろいろ想像するレベルでしたけども、やっぱりスマートフォンだと写真だとか、普通にPC用のサイトも見れたりと、移動時に得られる情報としてはだいぶたくさんになってるのを実感しました。

ところで、新しいiPad発表の際に、Apple TVの新しいリリースがあったようで、こちらも1080pに対応とか。とはいっても、我が家のリビングのTVはフルハイビジョン対応してないのです。インターフェースは一新ということで、早速うちに帰ってからバージョンアップしました。そんで、クックCEOのイベントのムービーが見れる、という、これまた便利な。これから英語の勉強がてらちょびちょび見ようかと思っております。

この辺り、androidからは見れないので(どこかにyoutubeが転がってそうですが)ちょっと不便です。

後、siriが日本語にも対応ってことで、長女にあげた iPod TouchのiOSを5.1にこれまたバージョンアップ中です。
このiPod Touchで写真を撮る、というのに長女4歳も少し慣れてきたらしく、撮った写真をiCloudを使ってApple TV経由で見ると、結構いろいろ撮っていて、とても面白いです。

siriと会話する長女というのも、想像するに面白い。
デジタルデバイスに慣れるというのが、子供にとっていいことなのかどうなのか、いまいちまだよくわかりませんけども、やっぱりiPadは欲しいなー、と改めて思うのでした。

<追記>
SiriはiPod Touchでは使えないんですって・・・。
脱獄すれば使えるようですが、とても残念。。。

形而上学について少し調べてみた

最近Facebook経由で教えてもらった本を読んでます。
その中で、「形而上学」という言葉が出てきて、その昔何度か調べたことがあったものの、きれいさっぱり頭の中から抜け落ちていってしまっているので、ちょっと調べてみました。

Wikipediaの「形而上学」に色々書いてありました。
たしか「けいしじょうがく」って読むんじゃなかったかなーと思っていたら、正しくは「けいじじょうがく」とのこと。
どうやら、哲学の一つの領域で(伝統的領域の一つ)、アリストテレスからスタートし、古代〜中世〜近世〜現代、と続いているみたい。

とはいえ、

形而上学を定義することの困難の一部は、何世紀も前にアリストテレスの編者に根源的に形而上学的と考えられなかった問題が、次々に形而上学に加えられてきたことにある。また、何世紀にも渡って形而上学的と考えられていた問題が、概して現在、宗教哲学、心の哲学、知覚の哲学、言語哲学、科学哲学といった、その独特の分離した副次的主題へと追いやられている点にある。

とあるように、学問としての明確な定義があるわけでもなく、ぼんやりしていて、すぐ忘れてしまうのはそういうわけだったのかと。

言葉の由来ですが

形而上学の「形而上」とは元来、『易経』繋辞上伝にある「形而上者謂之道 形而下者謂之器」という記述の用語であったが、明治時代に井上哲次郎がmetaphysicsの訳語として使用し広まった。中国ではもとmetaphysicsの訳語に翻訳家の厳復による「玄学」を当てることが主流であったが、日本から逆輸入される形で「形而上学」が用いられるようになった。

だそうです。
他にも「形而下学」なんてものもあったりと、へぇ〜、でした。
哲学についてちょっとちゃんと勉強してみようかと思う今日この頃。
そういえば、昔奥さんが買ってた孫子の本があったような。
始めるとしたらあの辺りからスタートですかな。

ちなみに今読んでるのは、この本です。

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MacBook Airを買ってよかった話

正月明けてから奥さんが、「次女も断乳して落ち着いてきたし、今年はアクティブにWordPress関連のイベントにも顔を出したい、持ち運びできるパソコンが欲しい」というのでMacを強烈にオススメしたところ、「えー、マウスのボタン一個しかないやん、いややー」と、ものっすごい後ろ向きでした。
とっても悲しい顔で応戦したところ、とりあえず欲しいのんにしたらええやん、と、なんだか自分のPCを買うノリで、MacBook Airを買った訳であります。

それから1ヶ月半くらい。だいぶ慣れてきました。
購入した11.6インチのMacBook Airの良いところと、アップル製品がたくさんあるといいことあるんですよを書いてみたいと思います。

ちなみに、これまで購入したアップル製品は

  • 2007 : iPod Touch 1G (カメラなし、スピーカーもなし)
  • 2008 : iMac 21.5inch
  • 2010 : iPod Touch 4G (カメラ・スピーカー・Bluetooth付き)
  • 2011 : Apple TV & Magic TrackPad

そして、2012 MacBook Air 11.6inch、という訳です。
結構アップルさんに貢献している状況ですね(汗)

とりあえず1ヶ月ほど、MacBook Airを使ってみてとてもいいところ、ですが2つあります。

1つは、マウスいらず、ということ。

もともと、iMacのほうでも、Magic TrackPadを購入して使っていたのでだいぶ使い方は慣れてるのもありますが、OS X Lionのマルチタッチジェスチャーを使うようになって、本当にマウスいらないなーと思うことが多くなっていました。MacBook Airのトラックパッドはそれよりも少し小さめの領域ではありますが、慣れると十分マウスなしで自由に使いこなせます。UIにこだわるアップル製品を触っておく、使っておく、ということは商品企画的なセンスも、利用者としての製品選択のセンスも磨かれるような気がしています。デザインについては賛否両論があるので、あまり触れずにおきます(個人的にはシンプルで好きですけど、奥さんはそうでもない模様^^;)

もう1つは、iMacとの連携が簡単、ということ

むかーしは、OSなんかも含めてPC自体をいじくるのがとても好きでしたが、最近はもうそういうPCの中のブラックボックス的要素にあんまり興味がなくなってきて、言ってみれば簡単に使えればよい、ってな志向になりつつあります。そういう人にとっては、2台以上の連携をするには、アップルのコンピューターはとても便利です。最近はApp Storeにて、一つのApple IDで購入したソフト(iMovieなど)なんかも複数PCに入れられたりするみたいですし(そういえばまだ2台のMacに入れるようなアプリをApp Storeで買っていない・・・)、iCloudを使ってデータを同期もできるみたいです。(そういえばiPhone持ってないので、iCloudもあまり使っていない・・・)

今個人的に一番便利な連携は、画面共有で、リビングにいながら MacBook Airを操作して、遠隔の iMacが操作できるということです。というのも、iMacには外付けのHDDをくっつけてサーバー的に動かしているので、写真やムービーなんかを確認したりPicasaにアップロードするには、こっちの操作をする必要があるのです。でも冬場はマンションの廊下側にある書斎はめちゃくちゃ寒い、なのでリビングから操作できるというのはとっても便利です。

iMacとの連携でもって、今後さらに便利になることがもう1つあります。それは

Apple TVを通して、リビングのテレビに表示できる、ということ。

これまで子どもたちの記録をとてもたくさん撮り溜めてきたものの、リビングではムービーも写真も見ることはかなわず、かといって書斎で見るというたぐいのものでもないので、撮ったまんま放置状態が続いていました。Apple TVを買ってみたものの、youtubeぐらいしか見れないので、最近はyoutubeに撮ったムービーをちょくちょくアップロードする、ということをしてましたが、今後はそういうこともしなくて良くなります。というのも、最近発表されたMac OS X Mountain Lionでとても嬉しい機能(AirPlay Mirroring)がリリースされるからです。この機能を使えば、リビングのMacBook Airから書斎のiMacを操作して、見たいムービーや写真を、リビングのテレビに表示すれば良いのです。これがこれまでアップル製品を買ってきて一番うれしい機能なんですが、もしかして今のiMacって第一世代Core iプロセッサー搭載機で対応できないんだろうか、とちょっと不安です。。。

あんまりMacBook Air自体のよいポイントじゃなくなってしまいましたけど、単品より総合的に価値を発揮する、というのはアップルらしい製品づくりだということだと思います。
ちなみに奥さんはWordPress関連イベントに持っていってますが、みーんなMacやから、いやや、とのこと^^;

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つれづれ

一週間に一度書く、というルールを今年は決めたのです。
というわけで、今年7本目のブログです。

まーったく書きたいこともなく、ノープランなので、今回は適当に思いつくままに書いてみることにします。

まず、生活の話。
奥さんと長女がインフルエンザに罹り、回復してから、今度は次女がおなかの風邪にやられています。
おなかの風邪といえば、ノロかロタかわかりませんが、去年のクリスマスの時期に家族全滅し、未だに冷蔵庫にクリスマス呑むはずだったシャンパンが入っています。そのとき全員で苦しみながらおかゆ三昧の日々を過ごしましたが、今回の次女の症状も近い感じです。
次女は前回も吐いたような記憶がありますが、今回も豪快に吐きました。その後2日間ほど、水のように腹を下し、ちょっと便が出なくなったな、と思ったら、今朝、再度吐きました。心配で病院に連れて行きましたが、たいしたことはないとのこと。その後今日一日でまた少し回復してきています。
熱だと38度くらいでも余裕で元気いっぱいの次女ですが、おなかの風邪だととてもつらそうで、見ていてとてもかわいそう。
早く良くなるといいな。
クリスマスからノロだのインフルエンザだの、なんだか病気に襲われっぱなしの我が家。はやく皆が元気な状態になりたいものです。

続いて、仕事の話。
今のプロジェクトをやるようになって1年半くらい。
はじめはコンサルに引っ張ってもらっていたところ、契約期間終了につき、去年の10月くらいからは、実務としては、わたしがリーダー。
チームメンバーに色々自立して動いてほしいところではあるものの、なかなかそううまくは行かず、どちらかと言えば指示に基づいた動きしかしてくれない日々が続きました。マネジメントの難しさというものをとても痛感し、どのようにコミュニケーションすれば自発的に動けるチームになるのだろうかと、今でも模索する日々です。「あうん」の呼吸というやつが、あって当たり前、と思ってしまう自分にも問題があると思い、コミュニケーションの量を増やしてみるものの、なかなかうまくいかなかったりと、メンバーの特性をつかむところから、とても勉強させてもらっています。
思えば若い人が減っていき、高齢化の波がますます押し寄せるこの社会で、リーダー役をする、というのは、基本自分より年上の人たちに対してリーダーシップを発揮する、ということがスタンダードになりつつある(もしくは既になっている)ということなのだと思います。わたしのいるところも、高齢化が進んでいて、わたしがほぼ下から数えた方が良いくらいの若手。もちろんやりにくい、と感じることも多々ありますけれど、そういう役割を与えてもらっているということは光栄なことでもありますので、やはりやるべきこと、についてはズバリ言うように心がけています。とはいえ、目上の方に対する尊敬の心というのは常に忘れないようにしているつもりではあります。上司がモーレツなので、ついついそのようなテイストを自分も無意識に含んでしまっていることもありますが、後で振り返って反省するのです。もっと「真摯」にならねばならぬ、と。
「真摯」というのはドラッカーの言葉で、これがマネジャーには重要な要素であるということですが、奥深いのでいつかちゃんと勉強しようと思っています。今のところ思ってるだけですが・・・。
理想のマネジャーというのがいればいいんですが、今のところ歴代の上司からは、残念ながら思い浮かびません。佐々木常夫さんみたいなやり方が理想とは思うものの、実践が難しいという悩みもあります。

そんなこんなで、ドタバタと日々過ごしています、なんだか充実しているようにも思えます。
生活面では、今年はスポーツをやりたい!というのがありますが、まだちょっと状況として難しい気がしています。
仕事面では、いろんな勉強をさせてもらえているので、不満はないはずなのですが、環境を変えたいなー、という思いは持っています。というのも同じ職場での仕事が長くなってきているのと、いつまで経ってもあまり職場の雰囲気が良くないからかもしれません。

つらつらと書いてみましたが、やっぱりまとまりないですね。
何か書くときは、テーマくらい決めた方が良さそうです・・・。
ではまた来週。

花粉症の季節到来

今年も嫌な季節がやってきましたね。
春になるのは嬉しいことなのですが、こればっかりはどうにも苦しみが先に頭に浮かんでしまいます。

去年の花粉症の状況をまとめています。
さっき読み返してみたら、やっぱり、「風邪と花粉症の併発」これに苦しんだみたいです。(去年のことなのにそれほど覚えてない・・・^^;)

というのも、週末の土日、と鼻水に溺れるほどのズルズルっぷりで、花粉症の時期はこれがずっと続くのか・・・と一時考えてしまったほどなのです。結果は、月曜日には鼻が通るようになり、助かった、と思った次第です。(月・火と雨できているので、そのせいもあるのだとしたら、また晴れだしたら注意かな、といまだ恐れてもいますが。。。)
つまり、この週末は「風邪と花粉症の併発」というやつにドはまりしてた、というのが今の自分の結論。花粉症の時期がスタートしたばっかりなのに、これでは思いやられます。とにかく、もう花粉症の時期に風邪を引きたくない!のでいろいろ注意しようと思います。

自分の中の花粉症、というやつに、面と向かって意識を向けたのは、2010年。検査をしてもらって、ダニ・ホコリ・スギの反応が陽性だった、というところからです。それまでは、なんだか季節の変わり目に咳が出ることが多くて、百日咳かなんかなのかなぁとずっと考えて生きてきました。一度か二度か、病院でも見てもらったこともあり、それでも結局原因不明。のどが腫れていて、アデノイド?とか言われて、これといった治療もなく、終了、という感じが何年も続いてました。
その後関西に戻ってきてから、検査して、アレルギーということが発覚して、気をつけだして、今に至ります。原因不明の謎の咳、と向き合う必要がなくなって、ほっとするやら、花粉症リミッターが外れてしまっている事実にがっかりするやら。思いは複雑でしたが、事実は受け入れるしかありませんからね。花粉症とも末永く、付き合っていこうと思うわけであります。

今年は去年ほどは、花粉の量は飛ばない、ということだそうで、ちょっと楽観視してはいるものの、なめちゃあいけませんよね。しっかりと、マスクする、抗アレルギーの薬を継続的に飲む、風邪をひかない、色々と十分注意して、この季節を過ごしたいと思います。

あ、全然話し変わりますが、奥さんが立ち上げた新しいブログのほうで、技術よりの話を書くことにしました。とりあえず、先ずは技術的なバックグラウンドのわかる自己紹介を書いています。
こちらも宜しくお願いします。( 宣伝でした :-) )

今のこのブログは、これまで通り、書きたいように、書きたいことを、誰か向けでもあるようで、誰向けでもない、そんな風に綴っていきたいと思います。

インフルエンザ記録

いつの間にか2月になりました。
先週金曜日から、奥さんが発熱、翌日朝長女も発熱。
その日は、子供たちの保育園で豆まきイベントがあり、長女は楽しみにしていたのですが(今まで保護者扮する鬼に泣いてしまって豆がまともに投げられなかったのでリベンジに心を燃やしていました^^;)、残念ながら参加はかなわず。
土曜日に、コワーキングのイベントに家族で行く予定で楽しみにしていたのですが、そちらも残念ながらキャンセルすることとなってしまいました。

土曜日に奥さん&長女で近くの医者に行ったところ、奥さんはインフルエンザの疑いあり、ということで検査、見事A型インフルエンザ発病の烙印を押されてしまいました。長女は状況証拠よりインフルエンザ確定、ということで検査もなし。
この日から我が家は健康体のAチーム、インフルエンザ発病中のBチームに分かれることに相成りました。

インフルエンザといえば、2009年に一度長女が罹っていて(そのときは多分インフルエンザ)そのときの記録はブログに書いてました(私のブログ奥さんのブログ

これを今読み返すと、子供へのインフルエンザ検査はしなくて正解だったと思います。長女は病院に連れて行く土曜日の朝発熱したところでしたし、前回同様、なかなか結果が出ず、何度も検査するということにも成りかねなかったと思います。
後、インフルエンザは熱冷ましはよくない、ということのようですが(自分で書いてて忘れてました・・・)、今回は日曜の昼頃一度熱冷ましを使い、夜効果が切れた頃、再度40度近くまで熱が上がってしまったので、もう一度使いました(一度目の使用から6時間以上はたってましたが)。

もうろうとしている長女もつらそうでしたが、子供はなんだかんだいってもエネルギーがすごいです。
40度近い高熱の時期を過ぎると、38度台くらいの熱であれば、物ともせず家の中で遊びまくっていました。
逆に大人のダメージはでかく、奥さんは日・月・火と丸三日ダウン。現在水曜終わりましたが、まだまだ咳も残っていて熱のダメージもあり非常につらそうです。

こんな感じの状況だったのですが、ひとつ嬉しかったこと。
次女(1才9ヶ月)は元気爆発で、インフルエンザもなんのその、という感じだったので、風呂を入れたり(いつもは長女も一緒なのでマンツーマン)、その他諸々の世話全般をやっていました。
すると、寝かしつけは完全にママの専売特許だったのが、ぐったりしているママをみてこりゃいかんと思ったのか、パパの寝かしつけをすんなり受け入れてくれました。しかも暴れたりぐずることなくスムーズに寝入ってくれ、なおかつ、寝入ってから眠りが浅くなるタイミングでふと見回して寝室にパパがいない、と気づくや、「パパー、パパいない」と泣き出してくれる始末。いつもは「安心」を求めるママの代わりとして、パパに向かってくれている、というのはとても嬉しい出来事でした。平常に戻ると、またママの方に「安心」を求めにいくということとわかってはいるものの、そういうものを求められる、という経験が持てたことは非常に貴重であったと思います。

そんな次女は、私が土曜日に豆まきイベントに連れて行きましたが(じいちゃんばあちゃんも参戦)、鬼にちょっとビビったものの、平然な感じで豆を投げるというか、落とすというか、節分を楽しんでいました^^

そんなこんなで、年末のノロ騒動(こっちは家族全滅でした・・・)から引き続き、病気と格闘する感じの我が家ですが、なんとか乗り切って早くバッチリ健康な家族生活を取り戻したいものです。
皆様も猛威を振るっているインフルエンザには十分ご注意ください。大人が罹ると相当なダメージを受けます。

今年は英語の勉強時間を多く取ります。

2012年がはじまって、あっという間に4週目に突入していますが、今年は週に1つブログを書くことに決めたので、1週間1週間の時間の感覚が今まで以上にしっかりしているような感じがしています。(いつもだとあっという間に1ヶ月ぐらい過ぎてた、ということもまま)
12ヶ月分の1ヶ月が半分過ぎた、という感覚より、52週分の3週間が終わった、というほうが全体比率がしっくりくるのです。
こんな調子で気づけば52週間が過ぎ、一年も終わるのでしょうね。

ところで、年始にブログで立てた1年の目標からはもれなく漏れてしまっておりましたが、今年はタイトルのように、英語の勉強に力を入れようと考えております。
ますますグローバルというか、世界が狭くなるというか、そういう世界の中で、いつ何時、海外の人とのコミュニケーションが必要になるかもしれませんし、企業人という形でこの先長く生きていくとしたら、やっぱり今の業種(製造業)に身を置くものとしては、英語が必須能力です。

というわけで、年明けから英語の勉強を始めました。
兼ねてからちょこっとやってみては失敗する、というたちなので、今回は本当に興味のある内容の英語講演、これにしぼって聞きまくる、というのを実践してみよう、と思っています。
そこで、教材としては、今のところYoutube一本で考えています。
その他いいものが見つかれば、別途考えていくことにします。(iTunes Uにも興味があるけれど、使っているのがAndroidなので)

TEDが英語教材としてはよさげ、なんですが、おすすめのプレゼン、を探してくるところが結構一苦労。
なんか日頃からウェブサーフィンとかする中で、候補のリストをひとところに溜めておいたりしないとなーと考え中です。
(Androidで自分の興味ありそうなYoutubeを探してると、それだけで通勤時間が終わってしまう・・・)

今のところ、聞いてみて「いいね!」な英語スピーチですが、以下の感じです。
(昔からたまに聞いてたのも含め)

Hans Rosling の Magic Washing Machine(これとても面白いです)

いわずと知れた、ジョブスのスピーチ(Connecting Dotsのために頑張る気持ちを思い出すためにたまに観ます)

有名なセヴァンスズキ(13歳かな?)のスピーチ(先輩に教えてもらった動画)

このブログでよくご紹介している田坂広志さんのInvisible Capitalismの寓話

アルビン・トフラー氏の動画(他のも今後探そうと思っている)

先週のアップルのニューヨークでのイベント(これも面白いので何度も観ようと思っている)

面白いプレゼンはちゃんと隅々まで聞けるようになりたいと思う気持ちが、英語の上達には大事かも、と思います。
聞いた言葉を発してみる(シャドウイングというらしい)のも必要と思いつつ、電車の中では、ねぇ・・・。

百か日法要を終えて

先週末、昨年秋に亡くなった義理のお祖父さんの百か日法要が執り行われました。
忌日法要については、お通夜、お葬式、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(四十九日、満中陰)、全て法要に参加し、今回の百か日を迎えました。

片道1時間ちょっとという距離とはいえ、まだまだ小さい子供たちを連れて法要に参加するというのもなかなか大変なことではありましたが、生前とても可愛がってもらったひ孫たちを連れていくことが、お祖父さんの供養にもなるのではないかと思い、家族で頑張って週末は実家に通いました。

法事でお坊さんがお経を唱えている間、お経自体は聞いても理解出来ないので、いろんなことを考えました。生前のお祖父さんのこと、親族というコミュニティについて、死について、ご先祖様について。そんな中、長女は退屈ながらも賢く正座してじっとすることができており(保育園がお寺なので、日々練習している)、次女はお坊さんの叩く木魚が気になるようで、たまに脱走して木魚を奪いに行ったところを、親族の誰かに確保される、というような感じでした^^;

悲しみや寂しい感情、というのは日が過ぎていくとともに少しずつ薄れていくものです。喜怒哀楽といった感情が少しずつ執着がとれていく仕組みになっていることが、人間が生きるために必要なことであるようにも感じます。ただそういった中でも、しっかりと目に焼き付いている光景があり、生前のお祖父さんのひ孫をいじめるいたずらっぽい声や、笑顔、亡くなり棺の中でもう話すことのできなくなり目をつぶっている顔、泣きながら別れを告げる家族の顔、今でもありありと思い出すことができます。

百か日法要の際、お坊さんが教えてくれたことは次のようなことでした。

生きとし生けるものは、全て下層から「土」「水」「火」「風」「空」の要素のもとに始めて存在することができており、この条件の中で、代々ご先祖様から始まり、亡くなった方、これから生まれ来る赤子など、たくさんのいのちがこの世に過ごすことができているのであり、そのような事に思いを巡らすことで、少しでも諍いの少ない世の中にしていけるのではないでしょうか。

人が亡くなる、という経験は辛いものであり、あまりしたくないものです。
しかし、避けられるものではありません。
ですので、その経験の中で、どのような思いを巡らし、何を感じることができるのか、ということがとても大切なのだと思います。
次女にはまだ早いものの、4歳の長女にとっては、とても大切な経験であってほしい、と想うのでした。

お祖父さんは、百か日法要の後、お墓に納骨されました。
少し小高い丘の、とても素敵な場所です。
藤棚があるお寺さんで、きっと藤が咲く頃にはとても綺麗な景色になるのでしょう。
また、時どきに足を運び、ひ孫たちの成長を見せてあげたいと思います。